帝国海軍地中海戦記

第一章     

「右舷二時方向、雷跡」

 見張り員が叫ぶ、目標は船団中央の輸送船だ。

 かわしてくれ、氏家林太郎少佐は祈ると同時に、注意喚起の警笛を鳴らす命令を下している。

 輸送船も気が付いたらしい必死の回避行動をとり始めた。

 幸いにも敵魚雷は輸送船のわずかに後方を通過した。

 本艦の警笛が功を奏したのかもしれない。戦場で生死を分けるものは、ひとえに速さだ。

「対潜戦用意、聴音員、感は」

 一分ほどの沈黙の後に椛島兵曹の声が響く。

「左舷後方、距離約千五百、感あり、潜水艦です」

「面舵一杯、最大戦速、爆雷戦用意」

「信号員、司令に報告、我、対潜戦につく」

 氏家は即座に下命した。

「我、対潜戦につく」

「面舵一杯」

「最大戦速」

「爆雷戦用意」

 艦橋の信号員、操舵員、機関室からの伝声管を通じ機関士、そして水雷士がそれぞれの任務に従って復唱した。

 元はイギリス海軍のH型駆逐艦である「棕櫚《しゅろ》」は、帝国海軍の艦船と異なり重油専焼だ。帝国海軍ではできない贅沢だ。帝国海軍は石炭と重油の両方を使う混焼である。石炭は国内および大陸で手に入るが重油はそうはいかなかった。

 船体を震わしタービンがうなり艦はみるみる速度を上げていく。

「司令より入電、了解」

「司令了解」

「距離二百、百、五十、十、推定真上」

 椛島が叫ぶ

「水雷長、攻撃開始」

「攻撃開始了解」

間髪入れず水雷長の号令が発せられた。

「爆雷投下用意」

「三、二、一、レッコー」

 深度は八十メートルにセットされている。直撃より下からの衝撃波で敵艦を損傷させる戦術である。

 椛島が耳から聴音器を外す。

 海中からつきあげてくる衝撃に、艦が揺れた。

 水柱が上がる。なかなか派手なもんだなと氏家は頭の片隅で思った。

 彼は日露戦争が終了したのちに兵学校に入学している、つまり、今回の派遣が初めての実戦である。

 しかしながら意外と落ち着いていることに自分でも少々驚いている。

「砲術戦用意、各員は敵艦発見に努めよ」

 水柱が治まり海面を水紋が広がっていく。

 輸送船団の煙突から出る黒煙は、遥かな彼方になっている。

 あちらの護衛は僚艦に任し、以降の「棕櫚」は獲物を追う猟犬に徹することになる。

「左舷後方、七時、九時、魚雷」

 なんてやつだ、逃げずに本艦に戦いを挑むというのか、駆逐艦に向かってくるとは。

「取舵一杯、敵潜は」

「取舵」

「スクリュー音なし」

 逃がしたか、氏家は臍をかんだ。

 地中海のこの海域では海底の高低差による潮流がある。

 敵潜はニュートラルの状態で潮流に乗り、海域離脱を図るつもりだろう、そうなると探知は難しくなる。

 敵戦撃沈よりは無事に船団を護衛することが本来の任務である。

「対潜戦もとい、通常見張りに戻れ」

「本艦は護衛任務に復帰する」

「司令に打電、敵潜撃沈ならず。我、固有任務に復帰する」

「棕櫚」乗組員は、地中海遠征に伴い編成された寄り合い所帯だ。

 氏家は海軍省、航海長、砲術長は佐世保鎮守府、水雷長は舞鶴鎮守府、

 機関長は横須賀鎮守府、それぞれの所属の艦船から集められている。

 下士官兵もまたそれぞれの鎮守府から集められている。

 今回の派遣に対して、英国から貸与された駆逐艦ということもあって、各鎮守府のエースが集められた形だ。

 いわゆるサラエボ事件をきっかけに始まった戦争は、ここにきて激しさを増している。

 英国はUボートによる商船の被害に手を焼き、我が国に対して、日英同盟に基づき海軍艦船の派遣を要請した。

 我が国はそれに応じ、佐藤少将率いる第二特務艦隊を編成し派遣を決定した。。

 艦隊がスエズ運河を通過し、地中海はマルタに到着したのは半年前のことである。

 氏家率いる乗組員は五週間という短期間で「棕櫚」の完熟訓練を終えた。今回の護衛任務が初陣であった。

 貸与艦と言えど旧式ではなく、むしろ聴音器、爆雷は日本艦にも装備されていない最新のものであった。

 いずれ、わが軍にも装備されるであろうこれらの兵器を、先んじて実戦で運用する。そのために選ばれたのが、氏家たちだったのだ。

次の輸送船団の出発までは、やや日があった。

 氏家率いる駆逐艦「棕櫚」はマルタ島の基地に帰投後、短い休日を許されている。

 連合国の輸送船そのものは、連日運航されている。しかし帝国海軍は、日英同盟により参戦していることから英国の船団以外は、護衛しないことになっているのだ。

「氏家少佐、先日の護衛、船団指揮から感謝を伝えてくれと言ってきている」

 英国海軍大佐、ウィリアムは氏家に握手を求めた。

「恐れ入ります大佐、貴国よりお借りしている「棕櫚」は素晴らしい艦です、それでありながら、敵潜を取り逃がしてしまいました。お恥ずかしい限りです」

「なんの、たった数週間の訓練で艦を運用している貴官及び乗組員に対し我々は惜しみない賛辞を贈らせてもらう。では休日を楽しんでくれたまえ」

 氏家の敬礼に、大佐は英国海軍流の答礼を返すと、自らの仲間の元に戻っていった。

「いいなあ、君らは。休暇が多くて、我々は連日の出撃だ、毎日これが最後のワインになるかもしれんと思うと」

 フランス海軍のマロリー少佐がワインのグラスを氏家に渡しながら、愚痴ともつかぬことを言う。

「軍人として国家の方針には逆らえん、我々が英国船団を護衛することで、ロイヤルネービーが貴国の船団も護衛できる。そう思ってほしい」

 ロイヤルネービーと言えば、英国海軍のことだ。ちなみに帝国海軍はインペリアルネーピーである。ロシアのバルチック艦隊を葬ったことで一躍世界の脚光を浴びている。

「そういえば、今日のUは逃げずに雷撃してきたそうだな」

「うちの乗組員から聞いたか、さしずめ佐野あたりだな。おしゃべりな奴だ」

 佐野大尉は「棕櫚」航海長である、兵学校で氏家の二期下に当たる。

「まあまあ、敵の情報を交換するのは大事なことだからな。地中海にギュンターが派遣されたと聞いた。案外今日の君の相手はそれかもしれん」

「ギュンター?」

「ああ北海で大暴れした男だ。やつのために一時英国は干上がりかけたと言われている」

「ジブラルタルを抜けてきたというのか、対潜網はどうしたんだ」

「スペインに聞いてくれ」

 マルローはあきらめの表情を見せた。スペインはこの戦争には参戦していない。

 欧州においても参戦していない国はある。一方我々は遥々アジアのはてから地中海までやってきて。軍人である氏家は、政治に対して意見は言わないが釈然としないところはある。すでに戦死者も出ている。「榊」艦長上原中佐は氏家が兵学校四号生徒の時の一号だった。

「艦長、十二時方向黒煙。輸送船が燃えています」

 きょうの「棕櫚」は船団輸送ではなく哨戒任務に就いている。

「フランスの船団のようです」

「全速前進、本艦は該船の救助に当たる。半舷救助、半舷対潜戦用意」

 艦内に緊張が走った。被雷時の救助は英国海軍ですら禁止している。それほど危険な業務だった。

 敵潜は、マロリーたちフランス海軍に任せ、自分は救助に向かう。氏家は即断した。

 危険は承知である。それでも船乗りとして、目の前で人が水没していくことを見捨てるわけにはいかない。

 それは乗組員、否、船乗りとしての共通認識のはずだ。

 幸いにして、帝国海軍には救助禁止の命は出ていない。

「救命艇降下用意、救命艇要員配置につけ」

「前進半速、停止、後進一杯」

 該船までの距離千メートルを切ったところで、氏家は艦の行き足を止めた。

「聴音員、敵潜、感は」

「感なし」

 即座に椛島が答える。

「救命艇降下、総員警戒配置」

 敵潜が息をひそめているかもしれないのだ。ここで長時間、艦を停止させることはある意味自殺行為となる。

「前進微速、半速、面舵九十度」

 氏家は該船の周囲を大きく輪を書くように艦を進めた。敵潜がとどめの魚雷を打てば、直ちに攻撃に移るつもりだった。

「氏家少佐、あれは蛮勇だぞ」

 ウイリアム大佐が真顔で言う。

「わが軍では禁止されているが、君の国では」

 英国海軍は被雷撃船舶の救助を禁止している。おそらくは苦渋の選択だろう。

 兵員輸送船が雷撃を受け、救助に当たった僚船と護衛艦がともに雷撃を受けた。その結果六千名にも上る被害が発生した事案が理由だった。

「はい何も命令はありません。となれば船乗りとして」

「当然の責務か」

「と、我々はロイヤルネイビーから教えられました」

 大佐は、その通りとでもいうように笑顔を見せた。

 マルローが近づいてきたのはまさにその時だった。

 ウイリアム大佐に向け敬礼すると氏家に向き直った。

「まずはありがとうと言わせてもらう、君たちのおかげで我が国は優秀な船員を失わずに済んだ」

「ん、どうしたマルロー少佐。何となく不満気だな」

 ウイリアム大佐の言うとおり、マルローは素直に感謝というわけではなさそうだ。

「いえ別に、そういうわけでは」

「氏家が危険を顧みずに救命艇を下ろしたことで、自分たちが臆病者だとでも言われたか」

 ウィリアム大佐の言ったことが図星だったらしい。マルローはその白い肌を羞恥からかく染めた。

「それは悪かった、ただ俺たちは」

 自分たちは東洋人である。英国から乞われて地中海に派遣されたが、それでも東洋のサルが何しに来たという雰囲気はあった。

 帝国海軍がロシア海軍をやぶったと言っても話にさほど変化はない。

 教育のない下士官兵だけでなく、士官たちにもそういった感情を持っているものがいる。

「われわれは、君たちほど素早く救命艇を下ろすことができない。指揮官としてわかっていて艦と兵を危険にさらすことはできない」

「私は君が後ろで敵潜を狩ってくれると信じていた、だからこそだ」

 氏家はマルローーに対して感謝を述べた。

「艦長、悔しいですね、いまだに我が国は」

 佐野大尉は一連のやり取りを聞いていたようだ、周りに聞かれても困らぬようあえて日本語で話した。

 こういった場では、日本人同士であっても英語で会話するのが、海軍軍人の常識なのにである。

「まあな、仕方がない、でもな俺たちの働きは輸送船団の連中には伝わっている」

 事実だった。輸送船団の中には、帝国海軍の護衛がないなら出港しないと、までいうものも増えていると聞く。

「帝国海軍駆逐艦棕櫚の方々ですか」

 女性の声に、氏家と佐野は思わず振り返った。ここは連合国の護衛部隊の司令部に設置された将校クラブである。給仕の女性はいるが、彼女たちは艦の正式名称など知らないはずだ。

 そこには海軍将校の制服に身を包んだ金髪の女性がいた。

 聞いた覚えはあった。司令部要員として、英国は婦人海軍部隊の要員をマルタに派遣していた。

「今日の救出作戦、お見事でした。いや私ごときが言うのは、失礼ですね。申し訳ありません」

 美人だった。しかも彼女は中尉の階級章を付けている。

 大日本帝国軍部も女性を雇ってはいる、ただ彼女たちは事務員である。後方勤務とはいえ最前線に派遣しているとは、西洋人の発想には驚かされる。

「わが部隊兵士の婚約者が、助けられた船員の中におりまして、ぜひ感謝を伝えてほしいということで参っております。お会いいただけますか」

 氏家と佐野はお互いに顔を見合わせた。

「艦長自らが、作業とは。変わっているな君の国は」

 作業服姿の氏家を見て、マルローがあきれたような顔をした。

 たしかに欧州の海軍ではどんな小さな艦であっても、艦長がペンキを塗ることなどは考えられない。

 駆逐艦「棕櫚」はドックに入っていた。機関の調子が悪いのだ。

「このところ君の艦は八面六臂だったからな、たまには俺たちに任せてゆっくり休んでくれ」

「すまんな、君たちも大変なのに」

「その分修理が済んだら頑張ってくれ、その時は、難しいこと言わずにうちの国の輸送船もよろしくな」

 それがマルローとの別れになった。

「艦長、大変です。フランスの輸送船団が」

 佐野がノックと同時に艦長室の扉を開けた。氏家の「入れ」との返事も待たないとは、氏家は海軍軍人らしくないその行動を咎めようとして、思いとどまった。

 佐野の表情が、重大事が発生したことを告げていた。

 佐野は電報用紙を氏家に差し出した。ドックに入っていても通信士は当直体制を組んでいる。

「マルローは、無事か」

「わかりません、ただ電文によれば」

「わかっている。俺もフランス語ぐらいは読める」

 フランス軍の兵員輸送船が、アレキサンドリアの目前でUボートの攻撃を受け全滅した。

 電報は輸送船からの救援要請と、護衛艦からの戦況報告であった。

「佐野、司令部に行くぞ」

 何か情報が得られるかもしれない、こんな時に自分の艦がドックにいることが、氏家にはもどかしかった。

 洋上にいれば、何かができたかもしれないのだ。

「閣下、フランスの」

 氏家は派遣艦隊司令の佐藤少将を認めると、敬礼もそこそこに尋ねた。

「全滅らしい、護衛の駆逐艦も数隻やられたと聞いた」

 司令部は重い空気に包まれていた。

 現場からの電報以外に情報はないが、わかっている限りでも状況は最悪だった。

 かろうじて生き残った護衛駆逐艦の帰投により、詳細が分かったのは夕刻になったからだった。

 輸送船団はアレキサンドリアの手前、約二十マイルの地点で敵潜の集団に襲われた。

 後に群狼作戦と呼ばれるようになる戦法だった。待ち伏せをかけ、多くの艦から同時に魚雷を浴びせるのだ。狙われた艦は避けようがなかった。

 そのためには正確な輸送計画を手に入れることが必要になる。どこかで情報が漏れていたのだろう。

 マルローの艦は、輸送船に向かう魚雷を自らの艦を盾にすることで、守ったという。魚雷は艦橋直下に命中し爆発した。そして、艦橋にいた艦長以下は即死した。

 二日後執り行われた葬儀において、氏家はマルローの敵をとることを誓った。

「それは許可できない、フランス艦隊の仇をとりたいのは司令部のだれもが同じだ。しかし我々は運用できる艦に余裕があるわけではない。何よりも危険すぎる」

 佐藤少将は氏家の意見具申を即断で却下した。

 氏家の案は、自らを餌にUボートを誘き出し、一網打尽にしようというものだ。

「ですが閣下、我々は欧州の国々からまだまだ格下に見られています。ここでたとえ戦死しようとも、我々の犠牲が帝国の地位を上げると確信しています」

「少佐ごときが、国家の運営に口を出すな」

 参謀懸緒を付けた大佐が、氏家を叱りつけた。海軍では基本的に政治の話を持ち込むことは好まれていない。

「氏家少佐、君の気持は私も十分理解できる。ただ私としては勝率の低い賭けに部下を投入することはできない」

 佐藤少将の判断は部下を預かるものとしては、当然の判断だ。

 指揮官は勝つ勝負をしなければならない。イチかバチかの勝負をするのは愚か者である。

 それは氏家もわかってはいた。彼もまた部下の命を預かる艦長である。

「明日から君の艦には、船団輸送の任から外れてもらう」

「閣下、それは」

 自分の出すぎた具申に関する懲罰だと氏家は感じた。

「早合点するな、単艦で地中海全域に置いて行動してもらう。貴官の判断で敵潜水艦を撃破してくれ」

「閣下は神出鬼没の活躍を期待されておられる」

 大佐はわずかに笑顔を見せた。

「ありがとうございます、棕櫚は直ちに出撃、対潜戦闘に服します」

 氏家は切れのいい敬礼をすると踵を返した。

「総員前部甲板、総員前部甲板。艦長訓示五分前、艦長訓示五分前」

 全乗組員が主砲前に整列を完了している。

「かしら―中」

 総員の顔が氏家に向けられる。氏家は挙手の敬礼で答えた。

「なおれ」

「休め」

「本日より、本艦は隊司令の指揮を離れ、単艦で敵潜水艦撃破に当たる。厳しい任務であるが、輸送船団の航海の安全はひとえに諸君の努力にかかっている。各員の努力を期待する」

 氏家はそこで言葉を切った。

「解散、出航ようい。かかれ」

 基本的に、帝国海軍は英国輸送船の護衛が任務である。それを離れ、Uボート狩りを行うことが氏家率いる「棕櫚」の任務になった。

「航海長、本日の船団輸送は」

「アレキサンドリアから、マルセイユに向けての兵員輸送があります」

「兵員輸送か、出てくると思うか」

「はい、おそらく」

 佐野の顔は上気している、それはそうだろう。船団輸送は基本的に待ちなのだ。

 いつ現れるかわからない敵潜を待つのは、神経をすりへらす任務だ。

 それが今日からはこちらから積極的に索敵、攻撃ができる。佐野がづくのも当然だろう。

「進路いち、さん、ご、機関原速」

 棕櫚は戦場に向けて発進した。

「本艦は、輸送船護衛艦隊の外側に位置する。通信員、見張り員、聴音員諸君が頼みだ。頑張ってくれ」

 出航から十一時間、艦長室のドアがノックされた。

「艦長、輸送船団指揮官から入電です」

 通信士が電報用紙を差し出しながら内容をそらんじた。

「兵員輸送船、ハリアーが機関の不具合により、離脱。兵員は他船に移乗」

 艦橋にはすでに情報が持たされている、氏家が姿を現したことで、橋内に緊張が走った。

「本艦これよりハリアー護衛に向かう」

「航海長進路は」

「ふた、まる、はちです」

「進路ふた、まる、はち、最大戦速」

「進路ふた、まる、はち、最大戦速、よーそーろ」

 機関不具合の輸送船となればUボートは魚雷を使うことはないだろうと氏家は踏んだ。

「砲術長、砲戦用意」

「艦艦、ハリアーより入電、我敵戦の攻撃を受く」

「艦長、二時方向、煙がみえます」

「主砲、砲撃戦用意」

 砲撃戦は帝国海軍のお家芸だ。

「百発百中の砲一門は、百発一中の砲百門に勝る」

 東郷平八郎元帥のお言葉だ、氏家自身はそれは違うだろうとは思うが、猛訓練は伝統になった。

「敵潜浮上しています、距離五千」

 氏家の読み通りだった、潜水艦にとって魚雷はある意味貴重な兵器だ。無駄に使うわけにはいかない。

 機関の不具合で動けなくなった輸送船を屠るには、主砲による砲撃で十分なのだ。

 しかも護衛の駆逐艦もいないとなれば、敵潜艦長の判断は誰もが妥当と考えるだろう。

「砲術長、どうだ輸送船を巻き添えにせず撃沈できるか」

「大丈夫です、本艦は敵潜の側面に位置しております」

「敵潜が気付きました、急速潜航を図っています」

 潜られると厄介なことになる。気持ちだけが逸る。

「距離四千、主砲撃ち方用意」

「撃ち方用意よし」

 必中距離まであとわずかであるが、敵潜上の乗員はすでにいない。

 海面上に出ている部分が、急速に小さくなっていく。

「距離三千」

「てーっ」

 砲術長の命令が響き渡った。

 砲口から閃光が放たれ、ほんの僅か遅れて白煙そして轟音が響いた。

 この距離では直接照準である。

「初弾命中」

 艦橋に歓声が上がる。

 斉射された二門のうちのどちらかの砲弾が、敵潜の艦橋をふき飛ばした。

 潜水艦の艦橋は飾りのようなものである。それが吹き飛んだからと言って潜航に影響はない。

 しかしながら場所によっては、潜望鏡が使えなくなる、今回がまさしくそうだった。艦橋上部とともに吹き飛ぶ潜望鏡を、氏家は双眼鏡でとらえた。

「主砲次発、撃ち方用意。副砲撃ち方用意」

「各個に、てーっ」

 敵潜の周囲に水柱が上がり、敵潜の破片が舞い上がる。

 敵潜も練度は高いようだ、瞬く間に海中に潜っていく。砲術長の命令が遅ければ、無傷で潜られたかもしれない。

「敵潜はこちらを探れない、撃沈するぞ」

「水雷長、爆雷戦用意」

「爆雷戦用意よし」

 すでに爆雷投下の準備も整っていた。

「敵潜、機関停止しています」

「雑音確認、エア漏れを起こしています」

「方位二十五、距離三百、深度五十、本艦の真下です」

「レッコー」

 水雷長の号令が飛ぶ。

「取舵一杯、急速回避」

 巻き添えを食わぬよう、「棕櫚」は全速で現場離脱を図る。

 艦が大きく傾く。烹炊所《ほうすいしょ》で皿は大丈夫かな、氏家は頭の片隅でそんなことを思い、そんなことを考えた自分がおかしかった。

 数十秒前に自艦がいたあたりで海面が盛り上がった。

「艦長、浮遊物発見」

「オイルが広がっています、敵潜のものと思料します」

「敵潜沈下。圧壊音が聞こえます」

「各員、生存者の発見に努めよ」

 おそらく生存者はいまい、そうは思っても氏家は探索を発令せぬわけにはいかなかった。明日は我が身である。

 戦闘は戦闘として、勝敗が決した以上は、犠牲者は少しでも少ない方がいいと思うのも武人だ。

「作業やめ、総員黙とう」

 自分で殺害しておきながら、相手の魂の安寧を祈る、矛盾だし偽善かもしれないと思う。

「黙とうやめ、輸送船の救助に向かう」

 幸いにしてUボートから受けた被害と故障していた機関の応急処置は無事完了した。

「本艦は警戒配置のまま輸送船ハリアーの護衛に当たる」

 ここからマルセイユまで、約半日、新たな敵潜が現れないことを氏家は願った。

 会敵は武人として臨むところではあるが、ハリアーは回避行動ができるとは思えない。

 そのうち先に行った護衛艦が何隻か戻ってくるだろう、輸送船は貴重なのだ、一隻でも損失は避けたいはずだ。

「腹が減ったな」

 佐野がうなずいた。

第二章     

小さな艦でも、意外と艦長は孤独だ。

 久しぶりの休日というのに、氏家にはやることもなく、妻と子供に向けて手紙を書いていた。

 他の乗員は若干の当直要員を残し上陸している。下士官兵は下士官兵で、将校は将校でそれぞれ連れ立って上陸しているはずだ。

 そんな中、艦長はお呼びがかからない。内地ならば他艦の艦長同士ということもあるが、派遣地ではそうもいかない。

 結局艦長は自室で本を読むか、司令部にでも顔を出すかしか、できることがないのだ。

 しかし一日間にいるというのも芸がないか、と思い立ち氏家は一人で街に出ることにした。

 これがイタリア本土であれば言葉にも困るが、幸いなことにというかマルタは英国領である。言語は英語なのだ。一人で出歩くとしても問題はなかった。

 彼は英国の日本大使館に勤務していたこともある。

 マルタには、古代の遺跡が多い、古くから地中海の要衝として各民族国家が覇権を争っていたのだ。

 そんな遺跡見物にでも行くかと思い立ったのだ。

「氏家少佐」

 ふいに女性の声で呼び止められたのは、アッパーバラッカガーデンで港を見ていた時だ。

 振り向くと、そこには夏らしく白のワンピースに大きな鍔のついた帽子といった姿の女性がいた。

「お分かりになりませんか、先日司令部でお目にかかった」

 言われて気が付いた、英国婦人海軍部隊の中尉だった。司令部で氏家たちの救助活動に礼を述べてくれた女性将校である。

「メアリー、メアリーシンプソン中尉です」

 さすがに挙手の敬礼はしなかったが、彼女は背筋を伸ばし、気を付けの姿勢で自己紹介、海軍では姓名申告という、をした。

 氏家は制服ではあるものの、彼女のいでたちをに配慮して、脱帽すると軽く頭を下げた。

「失礼しました、制服と違いあでやかさが、どなたかと思いました。ミス、シンプソン」

氏家はあえてルテナン(中尉)とは言わなかった」

「メアリーで構いません、ルテナンコマンダー(少佐)」

「私も階級なしで読んでいただいた方が、そうそうファーストネームは、りんたろうです」

 艦を離れれば、氏家とて三十そこそこの男性だ。女性に話しかけられれば、悪い気はしない。

「りんたろう、そういえば、お国の文学者でそのような方が」

「森陸軍軍医総監閣下、ああミスター鴎外と言った方がいいですか、よくご存じですね」

「私、大学では文学を学んでました。それで」

 メアリーは少しばかり、はにかんだように笑った。

「この後のご予定がなければ、少し早いですが、どこかで昼食でもいかがですか」

 彼女も休日だというのに、付き合ってくれる友人がいなかったそうだ。女性士官というのもまた、特殊な立場なのかもしれない。

 結局ランチとお茶で数時間を過ごしメアリーとは別れた、それだけのことだが殺伐とした勤務が続いただけに心が和んだのは言うまでもなかった。

 真夏の地中海は、日没が遅い。八時近くになってようやく軍艦旗降下のラッパが鳴った。

 舷灯がともり分類上は夜間に入ったものの周囲はまだ明るい。そんなころに艦の外が俄かに騒がしくなった。

 なにやら大勢の人間が英語で騒いでいた。

 何事だと、横になっていたベッドから起きたところで、ドアがノックされた。

「どうした、何の騒ぎだ」

「米海軍の連中です」

「米軍だと?」

 米軍の参戦は帝国とほぼ同じ、すなわち地中海における戦いにおいても帝国同様新参者だ。

 そもそもモンロー主義により国民は参戦に対してあまり乗り気ではなかったはずだ、そこら辺りの事情も帝国と似ていた。

 その士気は決して高くはない。

「どうも本艦の乗員ともめたらしく」

 街には各国艦隊の乗員目当てに歓楽街が形成されている。

 連日命がけの戦に従事している兵士たちには、その手の息抜きが必要なのだ。

 酒も入れば女性をめぐってのいざこざも多い。各国は憲兵を派遣し治安の維持に腐心している。

 しかし、実戦でUボートと闘っている者たちにとって軍法会議など怖くもなんともない。営倉にいれられれば海上に出なくて済むと考えるものすらいる。

 すべてが任務遂行に邁進するものだけではない。徴兵で船に乗せられたものの中には、遠く故郷を離れた地中海で、命を落とすことに疑問を抱いているものもいる。

 たまの上陸で、羽目を外したのだろう、氏家はこれまでも大抵のことは大目に見ている。

 話は半日前にさかのぼる。

 連れ立って娼館に登った航海科の水兵三名の前に米兵が立ちふさがった。

 米兵は、帝国海軍が称賛を受けていることに不満を抱いていたらしい。

 酒も入っていたこともあって、彼らは普段の不満を晴らすことを考えたのだろう。

 最初の一言が、「サルが何をしに来た」だったらしい。

「まぐれでロシアに勝ったからって、でかい面するな」等々悪口雑言だったという。

 それに対して、本艦水兵が、Uボートの一隻も沈めてものを言えと返したことで乱闘になったらしい。

「たまたまうちの水兵は柔道の有段者が多くて、相手をさんざん路上にたたきつけたんですよ」

 あとで佐野が言った言葉だ、どこかよくやったとでも言いそうな彼の気持ちもわからないではなかった。

 この戦いは欧州各国が起こしたものだ、帝国はいわばぎりで参戦しているにもかかわらず、実働は帝国海軍が割を食っていることが多い。

「で、おさまりは付きそうか」

「向こうの憲兵隊が来たんですが、どうもやる気がなさそうで、舷門で防いでいますが、この分では発砲せざるを」

 当直将校の砲術士はひきつった症状を見せた。

「それはまずいな」

 氏家は、テーブルの引き出しから、購入したばかりのブローニングM1910を取り出した。

 舷門の前では、両国の水兵がにらみ合っていた。

 騒ぎが見渡せる位置に立った氏家は、空に向けて引き金を引いた。

 銃声が響き、同時に全員の目が氏家に向く。

「気を付け、艦長に敬礼」

 砲術士が裂ぱくの号令をかけた。

「本艦艦長の氏家である」

 砲術士が同時に英語で復唱する。

「この一件、本職に預けてくれぬか」

 米兵からヤジとブーイングが起こる。

 氏家はもう一度ブローニングを空に向けて撃った。

「貴艦の艦長と私が一対一で勝負をつける、それでどうだ」

 どよめきが起こった。

 氏家はゆっくりとラッタルを降りた。

「誰か君たちの艦に私を案内してくれるか」

「氏家少佐、来艦には及ばぬ、うちの乗員が御迷惑をかけた、ノーマン中佐だ」

 氏家より一回りほど大きな巨漢が水兵たちの後ろから現れた。騒いでいた水兵たちが一斉に気を付けの姿勢をとった。

 相手は中佐ということで氏家から敬礼をした。

「今の話お受けしよう。私は兵学校でもボクシングの選手だった、貴官は」

「私は空手というものをやっております、遺恨なしの勝負でいかがですか」

「空手か、うむよかろう、お受けする」

「日時は、今日というわけにはいかないだろうな」

「次の休みではいかがですか、いっそのことカッターのレースなんかも」

「確かに、それもいいかもしれんな」

「双方それで文句はないな」

 歓声が上がった。

「それまでみんな死ぬなよ」

「船団との距離は」

「約三万です」

 水平線上に黒煙が何本か上っている。

 帝国海軍駆逐艦「棕櫚」は今日も輸送船団から距離を置いて航行していた。

 船団を狙う敵潜を直掩艦と挟撃する作戦をとっている。

 このところこの作戦が功を奏し、撃沈一隻を含む成果を上げていた。

「艦長、スクリュー音です、本艦前方、一万五千」

 聴音員の椛島兵曹がよく通る声で叫ぶ。

「輸送船団に打電、敵潜発見、我攻撃に移る」

「対潜戦闘用意」

 管内の各部署から、復唱が帰る。実戦が兵の練度を上げている。平時の訓練だはここまでの上達は望めない、氏家は自艦の能力に自信を得つつあった。

「敵潜、機関停止、ロストしました」

 焦ることはなかった、水中にいるだけで彼らは酸素を浪費していく。いずれ動き出さないわけにはいかなかった。

 三十分が過ぎた。

「艦長敵潜動きました。本艦後方距離五千です」

「後方、別の艦か」

「不明ですが、スクリュー音は一機です」

 同一艦ではありえない動きだ。

 何となく嫌な予感がする、が、敵潜は追わねばならない。

「面舵一杯、全速前進」

「敵潜出力を上げています」

 逃げても無駄である、水中での最大速力は十ノット弱、こちらは優に三十ノットだ。

「爆雷投下用意」

「機関停止、ロストしました」

 距離二千で敵潜の行方はわからなくなった。

「左舷十時、魚雷です。本艦に向かっています」

「急速回避取舵一杯」

「離脱する、最大戦速進路ひと、ひと、まる」

「七時方向、魚雷です」

「馬鹿な」

 氏家は思わず口走った。

 敵潜は前方を逃げているはずだ、後方からの雷撃。つまり本艦は敵潜に取り込まれているということだ。

「司令部に打電、本艦敵潜の波状攻撃を受く、離脱を図る」

 どうやら、狩るつもりが狩られる側になったということらしい。

 脇の下に汗がにじむ。

「五時、魚雷です」

「十一時、魚雷」

 逃げられんどうかわしても、どちらかが当たることになる。

「後進一杯」

 船がきしむ、最大戦速から後進一杯、機関が壊れても不思議ではない

「左舷魚雷通過」

「右舷避けられません」

「総員耐衝撃姿勢」

 ゴーンという鐘をつくような不気味な音が艦内に響いた。

「右舷中央、魚雷命中。不発です」

 艦橋のそこかしこで安どのため息が漏れた。

 ドイツ製の魚雷はまま不発があると聞いたが、実際に経験するのは初めてだった。

「応急班被害報告」

「取舵一杯、目標後方敵潜」

 おそらく後方が指揮船だろう、このまま逃がすわけにはいかない。

「艦長米海軍です、先日の連中がこちらに向かっているそうです」

 ありがたい、一隻でも応援が増えれば何とかなるはずだ。

「スクリュー音三隻、逃げています」

 三隻だと「棕櫚」のためにか、俺たちも有名になったということか、氏家は少しばかり愉快になった。

「敵潜、魚雷発射管を開きました」

 このこの期に及んでも、まだ戦う医師をなくしていないらしい、敵ながらあっぱれだと思う。

「二時、魚雷です」

「取舵、本艦敵潜上を通過後、爆雷攻撃に移る。先ほどのお礼をしてやれ」

 このところ調子がよかったこともあって、氏家も乗組員もおごりがあったように思う。今回は運が味方をしてくれたが、次回はどうなるかはわからない。

 氏家は気持ちを新たにした。

「駆逐艦ジョナサン帰投してきました」

 無事だったか、氏家はとりあえず胸をなでおろした。

 ノーマン中佐は「棕櫚」救援に駆け付けた後、もう一度輸送船団の護衛に戻っていた。

 不発だったものの、艦のどてっぱらに魚雷が当たったのだ、駆逐艦の装甲は思った以上に薄い。一応の検査は受けなければならない。

 船団の護衛は気になったものの、「棕櫚」は先に帰投していた。

 氏家は被弾したのはこれが初めてだった。それでも実のところ肝は冷やしたが、恐怖を感じたというほどのことはなかった。それは過去の経験がものを言ったのだろうと思っていた。

 駆逐艦長としての実戦は今回の派遣が初めてであったが、氏家は、昨年の『ユトランド海戦』に参加している。

 当時英国戦艦「クイーンメリー」には観戦武官として下村帝国海軍中佐が乗艦していたが、氏家は観戦武官としてではなく、駆逐艦に戦闘員として乗艦していた。

 海軍上層部において地中海派遣がほぼ確定したころに、英国海軍の駆逐艦に派遣されていた。かの国からの駆逐艦貸与が、こちらもほば決まっていたからである。

 氏家には下船の機会もあったが、彼は実戦に参加することを望んだ。実弾の飛び交う中でなければ得られない操船技術もあるだろうと考えたのだ。

 海戦は両軍指揮官の思惑から大きくずれ、主力艦同士の全面的な戦いになった。

 ロシアとの日本海海戦には参加できなかった氏家にとって、主力艦同士の戦闘はまったく経験のないものだった。

 先頭の詳細は、駆逐艦の艦橋ではほぼわからない、司令よりの無線、手旗や発光信号それら断片的な情報しか知ることはできない。

 わかっているのは自艦に向けて発射される砲弾や、魚雷の数だけだ。

 戦艦の主砲弾が舷側に着弾した時は恐怖で血が逆流する思いをした。舷側に巨大な水柱が上がり艦が大きく傾いた。直撃を食らえば真っ二つに轟沈されるだろう。

 駆逐艦のとりえは高速と機動性だけだった。

「少佐、君なら、どうするね」

 ドイツ軍の軽巡洋艦が逃走を企てていた。

「肉薄雷撃あるのみ」

 駆逐艦艦長ターナー中佐は苦笑した。

「オーケー、操船は君に任せる、やってみたまえ」

「以後本職指揮を執る」

 氏家はターナーに敬礼すると凛とした声を放った。

「進路サウスバイサウスイースト、機関全速右舷魚雷発射管用意」

 駆逐艦がピッチングを繰り返す

「距離三千五百」

 軽巡洋艦から砲撃が始まっている。回避を繰り返す自艦の左右に水柱が上がる。氏家は不思議と恐怖を感じなかった。

 先に受けた戦艦の主砲による攻撃がすでに神経を麻痺させていたのかもしれない。

「距離二千」

「てーっ」

 氏家はつい日本語で叫んだ。言葉はわからぬが気合は通じたらしい。

 三本の魚雷はやや扇形に広がりながら、軽巡洋艦に向かっていった。

「命中」

 軽巡洋艦の左舷に火柱が上がると同時に見張り員が叫ぶ。

 それでも、敵艦は行足を止めない。

「取舵一杯」

「砲術長、再び雷撃に移る、発射点算出」

「僚艦、肉薄しています」

 氏家の攻撃に負けてはならじと思ったのだろう、僚艦が魚雷を発射した。

「命中、敵艦沈みつつあります」

 獲物をとられたような思いはあったが仕方ない、この戦いは英国海軍のものだ。

「ターナー中佐、敵兵の救助に向かいたいのですが」

「よかろう少佐、許可する。見事な攻撃だった」

 氏家が指揮したことは公式記録には一切残ってはいなかったが、主砲弾をかいくぐる経験が、このところの先頭に影響を与えていることは確実だった。

(Uボート艦内)

「艦長、蓄電池充電完了しました」

 これで潜れる、ロルフ・ギュンター大尉は、この時ばかりは神に感謝をささげたくなる。

 海中における潜水艦は、蓄電池からの直流を動力としている。充電にはディーゼルエンジンを使用しなければならないが、潜航中はエンジンを回すことができない。戦闘海域で充電のために浮上する、それが潜水艦の最大の弱点だ。

「潜航用意」

 艦上にいた乗員が一斉に艦内に戻る。最後がセイルにいたギュンタ-自身だ。ラッタルをかけるように降りる。ハッチを閉めると艦内には独特の空気が充満する。

 塗料、軽油、なによりも男たちの汗、それらがない混ざった独特の臭い。潜水艦乗りは、陸上にいてもわかると言われるゆえんだ。

 潜水艦に初めて乗ったものは、まずこの空気に打ちのめされることになる。しかしギュンターにはなぜか心地よい。

 この空気に包まれるということは、自分は自由を得ているということだからだ。

「深度二十で水平」

 艦はクレタ島の西、約二百マイルに位置している。

 アレキサンドリアとマルセイユを結ぶ航路を寸断する、彼に与えられた使命はそれだけだ。

「深度二十、艦水平です」

 前後のタンクのバランスをとり、艦をニュートラルの状態に保つ。言葉で言えば簡単だが意外と難しいものだ。

 潜水艦は水上艦に比べ不安定なものだ。そもそも潜水状態では予備浮力はほぼない。操艦を間違えると、そのまま奈落に引きずり込まれる。

「艦長、船団です」

 聴音員が戦闘開始の合図を出した。

「潜望鏡深度」

 最初から潜望鏡を使える深度にいればいいのだが、波があるときはバランスをとることが難しくなる。

 さらにこの戦いで急速に発展した航空機による索敵で、上空から発見される危険もあった。

 潜水艦は速度が遅いこともあって、存在が確認されるとその後の行動は極端に悪くなる。

「潜望鏡上げ」

 潜望鏡の回転に合わせ、視界の隅でコンパスが動く。

 居た、ギュンターの中で闘志が沸き上がった。どうやら英国の輸送船団らしい。

 だが護衛は、見たことがない艦影だった。いや一隻はH型駆逐艦か、いやあの太陽のような軍艦旗は。

「航海長」

 ギュンターは潜望鏡をワルター中尉に譲った。

「英国船団、護衛は日本海軍ですか」

「らしいな、お手並み拝見と行くか」

「一番、二番発射用意」

 魚雷発射管の開く鈍い音が艦内に響く。ギュンターは敵に悟られないことを願った。

「進路ふた、ふた、はち」

 船団はまだ気が付いていないようだ、いける。

「一番発射」

 圧縮空気が放出される音、同時にH型駆逐艦が回頭した。発見されたか。

「潜望鏡下げ、急速潜航」

「深度五十で機関停止、トリム水平」潮流で逃げる」

「敵艦きます」

「爆雷です」

 下から突き上げる衝撃波、艦が大きく揺れる。機関停止を命じた地点に正確に爆雷が投下されていた。

 なかなか素早い相手である。

「潜望鏡深度」

 爆雷の破裂音で敵艦もこちらをロストしているはずだ。お返しをせねばならない。

「艦尾発射管用意」

「進路ご、まる」

「発射」

「急速潜航、深度七十、全速前進」

 命中音はしない、外したということだ。日本海軍なかなかやる、ギュンターはうれしくなった。

「機関停止、このままニュートラルで逃げる」

「敵スクリュー音、遠ざかっています」

「ギュンター、クラインがやられた」

 久しぶりに基地に帰投し、司令部に出頭したギュンターにベッカーが悲痛な顔で声をかけた。

 三人は兵学校の同期だった。

「クラインが、信じられん」

 クラインも既に多くの輸送船、敵艦を屠っている歴戦の勇士だった。

「日本海軍らしい」

「日本海軍だと」

 ギュンターは先日見かけたH型駆逐艦のことを思い出した。

「マルタにいるスパイによれば、艦長は、ウジイエとかいうらしい」

「ウジイエか、わかった俺が仇をとる」

 戦で個人的感情にとらわれることは敗北につながることになる。冷静さを欠くことになるからだ。

 ギュンターはそのことはわかっている、しかし自分があの時、うじいえを沈めていればそう思ってしまうのは仕方がないことだった。

「日本海軍の動きがあれば知らせてほしい」そう司令部に依頼してから半月ほどが過ぎていた。

「奴が、動く。明日出港するブリテンの護衛だ」

 既にうじいえは直掩ではなく、外周から遊撃作戦をとっていることがわかっていた。

「ベッカー、手伝え」

 ギュンターは氏家を罠にはめることにした。

「U30、輸送船に対し雷撃」

 聴音員が叫ぶ。U-30はベッカーの艦だ。

「駆逐艦近づきます」

 来たか、うじいえ。ギュンターはほくそ笑んだ。

「U30、機関停止」

「針路ひと、はち、まる。機関全速」

 派手に響け、食らいつけ。

「潜望鏡深度に到達次第潜望鏡上げ」

 潜望鏡の中に敵艦が映っている。こちらに向けて猟犬のように駆けてくる。

 反応が早い、しかし、それが貴様の弱点だ。

「潜望鏡下げ、機関停止」

 ギュンターはゆっくり十数えた。

「U30、動きました」

「敵艦減速」

 そろそろ自分の置かれている立場に気が付いたか。

「後部五番発射用意」

「機関全速潜望鏡上げ、一番二番発射用意」

「後部五番発射」

「U30魚雷発射」

 うじいえが回頭しているのが見えた。

「針路ふた、なな、ご」

「一番発射」

 こちら雷跡を発見したのだろう増速してかわそうとしている。

「二番発射」

 聴音員がレシーバーを外した。命中音に備えたのだ。レシーバーを付けていると鼓膜が破壊されることになる。

「うじいえに神のご加護を」

 ギュンターは撃沈を確信した。

 ゴーン、という鈍い鐘をついたような音が響いた。

「敵艦いまだ行動中」

 聴音員が悔しさをにじませた声を発した。

「不発か」

 ギュンターは怒りを飲み込んだ。今回は向こうがついていたということだ、次は仕留める。

「新たな敵艦です」

「急速潜航、爆雷に備えよ」

 あとは根競べである、いつものことながら神に祈るしかない。

 潜水艦乗りになった以上死を恐れるものではないが、それでも爆雷がそばで爆発すると髪の毛が逆立つ思いがする。

「敵艦反転、機関音遠ざかります」

 それでもすぐに動くのは危険だった、中には機関出力を下げ、水上で待ち伏せをする者もいるのだ。

「メインタンクブロー」

「潜望鏡深度に到達後潜望鏡上げ」

 最終的には賭けなのだ、潜望鏡を三百六十度回す、敵艦の艦影はなかった。

「浮上、交代で艦外へ。充電用意」

 艦内のあちらこちらから安堵のため息が漏れた。

(連合軍司令部)

「お受けします、先日は私も危ういところでしたから」

 氏家は直立不動で答えた。彼の目の前には連合軍の司令官たちが顔をそろえていた。

 最近輸送船の運航計画が敵方に漏れているという疑いが出てきた。

 複数のUボートに待ち伏せされ輸送船のみならず護衛艦にも損害が出ている。マルローも待ち伏せに会い戦死した。

 そして氏家自身も、この場にいることができているのは、単に幸運だったからだ。場合によっては地中海の藻屑になっていたかも知れないのだった。

 君が護衛するのは、ダミーのぼろ船だ。船員も志願のもので最低限だけの人数しか載せない。

 敵は間違いなく複数で来る。アウトレンジで数隻の駆逐艦を付けるが、くれぐれも気を付けてくれ。

「各員、配置のまま聞け」

 想定海域到達前に、氏家は今度の作戦について、総員に訓示を行った。

「輸送船は、ぼろとはいえ人命がかかっている。もちろんわが艦も沈めるわけにはいかない。各人自己の職責にかけて奮闘されんことを願う。全員で生きて帰るぞ」

 おそらく敵の行動は依然どおりのはずだ、同じ手は二度とは食わん。氏家は心に誓った。

「右舷魚雷です、輸送船団に向かっています」

「輸送船団 予定通り散開しています」

 ぼろ船だけに船速もまちまちである、集団行動よりは各個で行動する方が犠牲が少ないという判断である。

 しかも、今回の航海に目的地はない、とにかく逃げればよかった。

「司令部に打電。我、狼狩りを開始」

「敵潜探知、左舷十一時方向」

「爆雷戦用意」

「針路ふた、ふた、ご」

 取りあえずは、先に探知された位置に向かうと見せた。

「右舷見張り潜望鏡はないか」

「潜望鏡発見、五時方向」

「取舵一杯、進路きゅう、まる」

「魚雷です」

「最大戦速」

 元の位置に向かって雷跡が伸びていく。

「敵潜発見、艦首方向、距離三百、二百」

「爆雷分散投下、間隔三秒、用意、てっ」

 爆雷が三秒ごとに投下されていく。

「後方浮遊物、油です」

「後方英国海軍です」

「左舷、桃と欅です」

 ウイリアム大佐自ら出撃ということらしい。

 後方に英国艦隊、左舷に帝国海軍、やつらに逃げ場所はない。

 爆雷が投下された。

「司令部より受電、艦長、基地帰投後ただちに司令部に出頭乞う」

「氏家少佐、出頭いたしました」

「入れ」

「間諜が見つかった」

 海軍兵学校の一期先輩である少佐参謀だ。

「英国の情報部が逮捕に向かったが、逮捕直前に拳銃自殺された」

「誰なんですか」

「君も知っている人物だ、英国婦人海軍部隊、シンプソン中尉」

 氏家は耳を疑った。

 司令部は、数人に疑いをかけていた。その数人に違う計画が渡るように仕組んだ。

 安直な手ではあったが、間諜は見事に引っかかった・

 参謀の話はそういうことだった。

 しかし、あのシンプソン中尉が。

「実は英国情報部は君とシンプソン中尉の仲を疑っていてな」

「私をですか」

 それは心外な話だった。

「まあ、怒るな、連中らの考えそうなことだ、貴官が成果を上げたことで奴らも馬鹿な考えを捨てたはずだ」

第三章     

「艦長すごい顔ですね」

 佐野大尉に言われなくてもわかっていた。瞼の腫れはだいぶんと引いたものの、いまだに左目の視界が狭い。

「ウィリアム大佐が引き分けにしてしまわれましたが、艦長は勝ったと思いますか?」

「いやぁ。完敗じゃないのか、ダウンをとられなかっただけよかったというのが本音だな」

 ノーマン中佐との異種格闘戦は話題を呼び、各国の将校、下士官たちが見物に来た。さらには各国に司令までも見学に来ていた。

 そのためかどうかは知らないが、試合前には両国の国歌が英国海軍軍楽隊により吹奏されるに至り、試合はがぜん公式なものになってしまった。

 氏家も空手の腕に自信はあったが、ボクシングは勝手がかなり違った。氏家の流派は、遠間からの突き蹴りを主とすることもあって、間合いの切りづらいリングは、かなり戦いにくい舞台だった。

 結果、接近戦に持ち込まれた氏家は、かなりパンチを食羅うことになった。

 もっとも、蹴りを何本か決めた感触もあったので、あちらも、あばらにひびくらいは入っているかもしれない。

「馬鹿なことを言わなければよかったよ、まったく」

 苦笑いをするしかなかった。

「顔を晴らしたなどというのは海兵の四号生徒以来ですか」

 佐野が笑う、相変わらず無礼な奴だ。

「意見を言ってもよろしいでしょうか」

 ボースン(甲板長)の木下兵曹長が口をはさんだ。

「下士官兵は、艦長のなさったことに感動いたしております。特に騒ぎのもとになった連中は、懲罰を覚悟しておりましただけに余計に、そうだな野本一水(一等水兵)」

「そのとおりです。水兵を代表して艦長に感謝申し上げます」

「ありがとうございます」

 艦橋にいた下士官兵から一斉に声が上がった。

「何を言う、君たちがカッターで勝ったことで、私は佐藤閣下からお褒めの言葉をいただいた。こちらこそ礼を言わねばならん」

 カッターレースは、日米だけでなくフランスやイタリア海軍、さらには輸送船団からの選抜も参加しての盛大なものとなった。

 レースは五艇が一艇身差という接戦になったが、「棕櫚」のクルーは接戦をものにしていた。

「閣下をはじめ、あちこちから、酒や甘いものの差し入れがある、帰投後楽しんでくれ」

 結果として、寄せ集めだった艦の雰囲気がよくなっただけではなく、連合国内における帝国海軍を見る目をも変えることが気がする。

 そうであれば、顔の腫れぐらいは、やすいものだと氏家は瞼に手をやった。

 シンプソン中尉の一件は、連合国の司令部に深刻な影響を与えた。

 取り分け英国海軍は士官が間諜だったということに衝撃を受けていた。

 かの国は自国に限ってと、たかをくくっていたきらいがある。そのために、シンプソン中尉に疑いを持った情報部に対して、非難を浴びせた参謀までいたと聞く。

 そんな司令部の暗い雰囲気を吹き飛ばすことになったのが、氏家とノーマンの試合であり、カッター競技だったのだ。

 最初にもめ事を起こした水兵たちを不問に付すぐらいなんでもないことだった。

「戦闘配置、見張り員は雷跡及び潜望鏡の発見に努めよ」

 輸送船団が速力を上げた。

(Uボート艦内)

「艦長、フランス艦隊、真上を通過中」

「潜望鏡上げ、前進微速」

 ギュンターは潜望鏡の中にフランスの駆逐艦隊群をとらえた。

 話は数日前にさかのぼる

「ギュンター、また二隻やられた。罠を張ったつもりが、どうもこっちがはめられたらしい」

 司令部の参謀は苦渋の表情を浮かべていた。

「敵司令部に送り込んでいた情報員からの連絡も途絶えている」

「向こうもそれほど馬鹿ではないということですか」

「ああ、少しばかり我々も調子に乗りすぎたようだ」

 ギュンターは先に司令部で作戦変更に関する意見を具申していた。

 日本海軍の「ウジイエ」を逃がしたことで、こちらの手の内がばれているはずと。

 それをまだいけると退けたのは誰あろう、目の前にいる中佐参謀だった。

 ギュンターにすれば、だから言わんこっちゃないという気持ちだったが、いまさらそれを言ったところでどうしようもない。沈められた船は戻ってこないのだ。

「私に策があります。今回の借りを返して、奴らを港から出らねぬようにしたいと考えます」

 参謀は目を輝かした。

 ギュンターにはこの男の考えはわかっていた、失敗すればギュンターの失敗、うまくいけば自分が起案したと上に報告するのだろう。

 哀れな奴とは思うがギュンターにはどうでもいいことだった。

 彼にはただ敵船を撃沈する、それ以外のことはどうでもよかった。

 二日後、ギュンターはマルタ島の沖合に潜んでいた。

 潜望鏡深度で、敵艦隊が帰投するのを待ちかまえていたのだ。

 ギュンターは大胆にも駆逐艦隊の最後尾に艦を付けた。

 敵駆逐艦の聴音員は自艦のスクリュー音に妨げられ、ギュンターの艦を探知することはできないはずだった。海面すれすれに上げた潜望鏡もまた、スクリューが作り出す泡の中にまぎれている。

 当然艦は揺れ、操船は困難を極めるが、ギュンターは部下を信頼していた。

 港の入り口に張られている防潜網はフランス艦隊を通過させるために下げられているはずだ。

 ギュンターは潜望鏡を回転させ、港の全域をみた。

 残念ながら、一番沈めたいと願った日本艦隊は、いなかった。今も地中海のどこかで、ギュンターの仲間を追っているのだろう。

 ギュンターはフランス艦隊の前方に停泊している二隻の英国駆逐艦を攻撃することにした。

「一から四番発射用意」

「発射」

 魚雷は、あたかもフランスの駆逐艦が発射したかのように見えるだろう。

「面舵一杯、後部五番六番発射用意」

 海が揺れた、爆発音が艦内に響く。港はパニックになっているはずだ。このチャンスを逃す手はない。防潜網が上げられる前に港からでなければならないのだ。

 事態を把握したのか煙突から煙を上げ、フランスの駆逐艦がやっと回頭を始めたときに、ギュンターは既に港外に位置していた。

 来い来い、ギュンターは潜望鏡を覗きながらつぶやく。

「五番、六番、発射」

「メインタンクブロー」

「砲撃戦用意」

 港の入り口にフランスの駆逐艦がたどり着いたときに、魚雷が命中した。

「準備が整い次第、砲側判断にて目標を攻撃」

 港内は火の海だった、かつ港の入り口にフランス艦が擱座《かくざ》しているための他の船は港の入り口で、停滞している。

 艦載の八十八ミリ砲が連続して火を噴き、敵駆逐艦の艦橋あたりに着弾した。

 乗員から歓声が上がる。

 実のところこの砲撃にはあまり軍事的意味はない。

 

 潜水艦の搭載砲など軍艦の装甲に対しては、豆鉄砲だ。今回もせいぜい艦橋のガラスを吹っ飛ばしたぐらいだろう。

 しかしほぼ一日潜水して敵を待った乗組員にはこれぐらいの褒美は必要だった。乗員の士気は一気に高まったはずである。

「急速潜航用意」

 長居は無用だ、いつ敵が戻ってくるかはわからない。ギュンターはラッタルを駆け下りた。

(駆逐艦棕櫚)

「艦長、司令部から電報です」

「砲術長」

 氏家から電報用紙を受け取った佐野大尉の表情は、はっきりと青ざめた。

「どうされますか」

「どうもこうもない、船団護衛を打ち切り帰投するわけにもいくまい」

 輸送船団にも護衛の艦船にも、基地の惨状は知らされているに違いない。

 直掩ではないにしても、「棕櫚」が護衛から離れるというのは、船団にとって不安を増すことになるだろう。

 マルセイユまではまだ一日以上の時間がかかる。それに「棕櫚」が基地に帰投しても、できることはないに違いない。

 氏家が今なすべきことは、輸送船団を確実にマルセイユまで送り届けることだ。

 氏家は艦内マイクをとった。

「艦長より達する、艦長より達する。昨日ひと、ご時、基地に敵潜が奇襲をかけ、在泊艦船に若干の被害が出た模様。本艦はマルセイユ到着後、予定を変更し当地において二日の休養補給後帰投する。本件につき、彼の地での、流言飛語に注意のこと」

「押っ取り刀で駆け付けると、かえって待ち伏せに会うかもしれん。ここは逆に英気を養おう、君たちもな」

 戦艦ならばいざ知らず、駆逐艦程度の船で、情報を秘匿することはできない。ならば積極的に開示する方が、むしろ乗組員の士気は上がる。

 予想通り艦橋の下士官兵には気力がみなぎった。もっとも急に降ってわいた、マルセイユでの二泊が嬉しいという方が本音かもしれない。

 おそらくマルセイユにも情報は伝わっている。いや、むしろドイツの間諜たちが積極的に利用している可能性があった。

 この時代、他国では貴族出身の士官と、平民出身の下士官兵では一般教養に格段の差があった。

 それに対して、基礎教養の高い帝国海軍の下士官兵には英語のみならず仏語に堪能なものもいる。それが逆にあだとなる可能性があるために、氏家はあえて注意を喚起したのだ。

 マルタの基地は、まだ混乱の極みにあった。何をおいても、港の入り口に擱座したフランス艦を移動させねばならない。雷撃による負傷者も救護しなければならない。

 周辺の警戒に人手を割く余裕が司令部にはなかった。

 氏家が危惧したとおり、敵潜はいた。補給のため基地に帰投したギュンターと交代に投入されたUボートによって、英国海軍の駆逐艦が沈められていた。

 そういった意味でも、氏家の判断は正しかったと言えるかもしれない。

 ただ撃沈された英艦の指揮官を責めるわけにもいかないだろう。彼らにすれば僚艦が被害を受けている、危険は承知していたとしても帰投するのが人情かもしれない。

 氏家にしても、帝国海軍の艦船が被害にあっていたら、状況はどうだったかわからない。

 どちらにしてもこの前の間諜の件と言い、英国海軍はご難続きのようだ。

 マルセイユでの休暇は、氏家の思惑以上に伸びることになった。

 連合国にとっては少なくない被害が出ていることが理由だ。

 船団の護衛に従事する船が足りないということで、護衛してきた船をまたアレキサンドリアまで送ることになったのだ。

 その結果「棕櫚」は久々に輸送船団の直掩につくことになった。

 船隊指揮は、氏家と異種格闘戦を行ったノーマン中佐が執る。

「中佐のお手並み拝見と行きますか」

 佐野の軽口に艦橋が沸いた。

 お調子者ではあるが、戦場ではこの性格は悪いことではないらしい。

「爆雷投下用意」

「てーっ」

「敵潜、ブロー音、浮上します」

「主砲、射撃用意」

 敵潜は浮上することを決めたらしい、おそらく爆雷攻撃で外殻でも損傷したに違いなかった。

「右舷後方敵浮上します」

「敵潜浮上次第、主砲は射撃を初めよ」

 主砲の四インチ砲が轟音を上げ、敵潜の前部甲板が大きくめくれ上がった。もう潜ることはできないはずだ。

「艦長白旗です」

「撃ち方止め」

「臨検班整列」

「本艦は敵潜に接舷、生存者を捕虜とする、各員戦時国際法を遵守のこと」

 艦長オスカー・ハーシング大尉以下の将兵にさしたる負傷者はなく、司令部と協議の結果、彼らは英海軍巡洋艦に移送されることになった。

「艦長の名は、敵に知れ渡っているようですね」

「死神扱いか」

 氏家は自嘲気味の笑いを浮かべた。

 沈めた敵潜は既に五隻に上る。すでに三百名弱の敵兵を屠っていることになるのだ、敵兵にすれば立派な死神と言えるだろう。

「まさか、敵の艦長も言っていたじゃありませんか、軍人として尊敬すると」

 佐野大尉が珍しくまじめな顔で言った。

 軍人か、そうだったなと氏家は改めて思った。

 氏家が軍人になったのは、単に実家が貧しかったからだ。

 御一新前、彼の家は伊達藩の家臣だったが、藩が賊軍となり、更に版籍奉還で生活は困窮することになった。

 氏家が生まれたとき、父親は県の役人として奉職していたが、子供が多かったこともあって裕福とはいいがたかった。

 本来は、帝国大学で学問の道を目指したかったのだが、家にその余裕はなかった。

 俸給の出る学校として、陸軍士官学校と海軍兵学校、どちらかを選ぶしか道はなかった。

 ならば海軍の方が世界を見ることができるかも、という理由で兵学校を選んだ。

 結果として、今、遠洋航海以来の地中海でUボートを追い回している。世界を見てはいるが望んでいたものとは違う生活だ。

「艦長どうかされましたか」

「いや別に、情けないな、少々疲れただけだ」

「少し休まれては、ここは我々が」

「わかった、では何かあれば」

 氏家は艦長室に戻った。

 自分でも不思議なぐらい感傷的になっていた。地中海に来てそろそろ一年、内陸における戦闘も終末を迎えかけている。

 もうひと頑張りだと氏家は自らの頬を叩いた。自分は乗組員全員の命をに責任がある、感傷的になっているわけにはいかなかった。

「艦長、臨検班戻りました」

 拿捕した敵潜から、暗号表等の機密書類を押収するのが任務であるが、敵の艦長も馬鹿ではないそれらのものは既に処分されているだろう。

「司令部より入電、敵潜の処分は貴官に委任する」

「艦長より達する、各科長は士官室に集合」

 各科長に図ったところ、撃沈処分に異論はなかった。

 ただ、捕虜の前で撃沈は武人として忍びなかったこともあり、彼らを英艦に引き渡し後、各砲及び魚雷の訓練を兼ね撃沈と決めた。

「目標までの距離三千」

「主砲及び副砲射撃用意」

「てーっ」

 斉射によって艦が大きく揺らぐ。

「夾叉」

 目標をはさみ前後に水柱が上がる。あえて夾叉《きょうさ》させたのは小さな敵潜に全弾命中させたのでは、それだけで沈没にいたる可能性があったからだ。

「針路まる、ごー。全速前進。魚雷発射用意」

「二十秒後反転、距離三千で魚雷攻撃開始」

「ご、よん、さん、ふた、ひと、反転」

 艦が大きく傾いた。

「魚雷発射用意」

「てーっ」

 鈍い圧搾空域の音とともに魚雷が海面に躍り出た。

「魚雷命中後、主砲及び副砲により斉射」

「ラッパ兵、吹奏準備」

「機関半速から微速、後進一杯、行き足止め」

「左舷整列」

「魚雷目標に命中」

「てーっ」

 砲弾が目標に吸い込まれ、ここかしこで爆発誘爆が始まった。

「目標沈みます」

「ラッパ兵、海行かば。総員敬礼」

 気を抜けば、明日は我が身である。氏家はこの戦争が終わるまで、艦も乗組員のだれ一人も失わないことを誓っていた。

第四章     

「左舷に艦影が見えます」

「潜水艦のようです」

 月齢二日、二二〇〇《ふたふたまるまる》の地中海、サルディーニャ島、アルゲーロの西、六十マイル、波は穏やか。

 連合国の潜水艦が展開しているという情報はない、当然敵潜である。

「戦闘配置」

 輸送船団を護衛してない場合でも、会敵必戦が海軍軍人だ。

 敵潜もこちらを発見しているはずであるが、一向に動きがない、いや動きはあった。

 艦首を向け始めている。故障で潜れないのか。次第に速力を上げているようだ。

「主砲射撃用意」

「距離二千を切りました」

「てーっ」

 敵潜の周囲に水柱が上がるのが夜目にもはっきり見える。

「敵潜針路を変えません」

 命中していないのか、外す距離ではないはずだ。

「突っ込んできます」

「激突するぞ、各人耐衝撃態勢」

「当たります」

 思わず目を閉じた。

「目を開けると、敵潜は影も形もない。もちろん潜航できるはずもない。消えた、そうだ」

 あちらこちらで大きく息を吐く音、そして笑いがおこる。

「砲術長、どこから仕入れた怪談だ」

「まったく貴様は」

 士官室での夜食タイムだ。船の食事は一日四食である。夜食は基本麵などの軽いものであるが、戦艦などではこの時間以降酒類も許される。

 ちなみに「棕櫚」のような駆逐艦では、艦内飲酒は原則禁止だ。場所も乗組員も少ないのだ。酔っぱらっていては戦にならない

 戦闘海域でも常時緊張しているわけでもなく、こういった時間がなければ神経が持たない。

「そういえば、まさしくこの海域、今が、話の舞台だろう」

 航海長だ。彼の頭の中には海図と時計が入っている。

「左舷、艦影が見えます、距離約一万」

 いきなり見張り員の声が艦内に響いた。

 全員がお互いの顔を見る。

「行くぞ」

「潜水艦のようです」

 冗談だろう、氏家は砲術長、佐野大尉の方を見た。佐野が首を勢いよく横に振る。

 敵潜は動かないままだ。

「各砲及び魚雷発射管戦闘用意」

 相手が動かないのでは対応のしようがない。

「砲術長、脅してみるか」

 佐野が頷いた。

「副砲威嚇発砲、てーっ」

 狙いたがわず潜水艦の、艦首横に水柱が上がる。

 敵艦は動かない。

「艦長、白旗です」

 佐野が大きく息を吐いた。

「臨検班は後部甲板集合」

「敵潜に接舷する」

 敵潜上に乗組員が現れた。

「距離、二百」

「後進一杯」

 前部甲板に一度った水兵がサンドレットを大きく回し始めた。

 水兵が手を離すと狙いたがわず、サンドレットは敵潜の上をこえた。

 ドイツ兵が綱につけた舫索を手繰る。

「後部を接舷させる」

「後部三メータ、二メータ、接舷」

 軽いショックがあった。

「全部舫投下」

「この位置止め切り」

「臨検班、乗艦」

 五分ほどののち、ドイツ人水兵が移乗してきた。

「艦長、士官がいません」

 移乗してきたものの中に、士官はいない。下士官が三名、水兵が八名である。

 通常は艦長、戦死の場合上位の士官が先頭のはずだ。

「艦長敵艦内捜索の許可を願います」

 臨検班長である首席航海士が叫んだ、彼はベルリンの大使館に勤務していた経験がある。

「衛兵、その者たちを拘束しろ」

 数分後、敵潜のハッチから顔を出した首席航海士が怒鳴った。

 移乗してきた水兵たちは日本語が通じなかったのか、暴れることもなく拘束された。

「報告、敵潜の艦長以下士官は、絞殺及び射殺されており艦後部に、残りの乗組員が軟禁されています」

 幽霊船ではなかった。考えようによってはもっと悪い話だ、船乗りにとってもっともあってはならない話、反乱だった。

反乱は、海軍において最大の犯罪だ。

 帆船の時代は有無を言わさず、帆桁から吊るされた。そうでなければ艦内で治安の維持は難しかったのだろう。

 今も海軍刑法では銃殺刑一択だ。もちろん教育や指揮官の人間性による統制などでめったに起こることではない。

 しかし、無能か人間として最悪な性格か、はたまたその両方を持つ指揮官が部下を過酷な環境に追い込んだ場合、反乱は起こる可能性はある。

「棕櫚」においても場合によってはあり得ないことではないだろう。

 フランス艦隊所属の巡洋艦が接近してきた。

 連合国司令部からの指示で、反乱を起こした兵士たちを受け取りに来たのだ。

 マルセイユに移送後、裁判にかけることとなるのか、ドイツ軍に引き渡されるのか、そこは上層部の判断になる。

「棕櫚」の艦内では双方を分離収容するには、スペースが足りなすぎた。

 拿捕した敵潜は無傷ということもあり、これも巡洋艦が曳航することになった。

 しかし曳航作業は実は簡単なことではない。ただ単純に綱で引っ張って行くというわけではない。

 しかも、曳かれる船は予備浮力の少ない潜水艦だ。ややもすれば、沈没の危険もあった。

「艦長、敵潜が沈んでいます、いえ、潜航を始めています」

 監視に当たっている水兵が叫んだ。

「馬鹿な」

 航海長と砲術長が同時に叫んだ。

 見間違いではない、スクリューが、起こす波とともに船体が海中に没していく。 

 棕櫚と敵潜をつなぐ舫索がピンと張り、艦が左舷に傾いた。

「舫切断」

 斧が振り下ろされほぼ同時に二本の舫索が切断された。張力が失われた反動で艦が左舷に傾いた。

「巡洋艦から信号」

「貴官、何ゆえ敵潜を開放するや」

 知るか、氏家はつい怒鳴り声をあげた。

「本職の判断にあらず、そう返してやれ」

 相手がどうとるか知ったことではない。しかもその返信は、向こうの指揮官まで届いたかどうかはわからない。

「魚雷発射管開閉音、発射管が開いてます」

 聴音員である椛島兵曹が叫んだ。

「全速前進」

 一応戦闘水域ということもあって、機関の圧は下げてはいなかった。それでも停止状態からは、いきなり最大戦速にまではならない。

 魚雷など信じられなかった。馬鹿なという思いがある。距離が近すぎるのだ。潜水艦も無傷ではいられない。

「魚雷、四本。巡洋艦に向かっています」

「棕櫚」が増速した。船体がきしむ。艦体が小さい分まだ加速が効く。

「魚雷命中します」

 目の前で火柱があがった。巡洋艦の船体が持ち上がり二つに折れた。瞬く間に巡洋艦は海中に没していった。

 渦が発生し「棕櫚」をも引き込もうとする。

「最大戦速」

 いかに巡洋艦が沈もうが、「棕櫚」自体を引きずり込むことはないだろう。それでも氏家は命令を下さずにはいられなかった。

「艦長、Uボートが沈みます」

 渦の中心で、艦尾を上に向け敵潜は垂直にたて、巡洋艦の後を追うようにたちまちのうちに姿を消した。

 救助のために接近を試みたフランス海軍の艦船もなすすべがなかったらしい。

「棕櫚」収容されたドイツ水兵をいくら尋問しても艦内に、人員は残っていないの一点張りであった。

 それに関しては、臨検班を指揮した首席航海士も同様の証言をしている。

 そもそも、隠れて何人かが残っていたとしても、艦を操船し、魚雷を発射することができるとは思えなかった。

 それは海軍の関係者なら容易に理解できることだ。

 結局、フランス海軍の巡洋艦は、敵潜水艦の攻撃により撃沈されたということになった。

 反乱についても、関係者が死亡している以上その詳細は不明となった。

 引き起こしたものは、助かっていても、ドイツ海軍が残る限りは軍法会議にかけられ銃殺刑になる運命だったはずだ。

 それがわかっていて反乱を起こすというのはどんな心情なのか。

 少なくとも自艦においてそのようなことは起きてほしくはなかったし、おこさせてはならない、氏家は指揮官としてそのことを強く思った。

第五章     

連合国が西部戦線での戦いを有利に運ぶには、アフリカ植民地側からの兵力増強が必要だった。そのために、氏家たちは輸送船護衛に従事している。

 しかし、逆にいえば、兵員輸送を妨げることが、同盟国側の勝利にもつながるということであり、Uボートは過酷な任務に耐えている。

 帝国海軍をはじめ各国駆逐艦の奮闘により、かなりの数のUボートが撃沈されてはいる。しかしすべてのUボートを撃沈しているわけではない。さらにドイツ海軍の保有するUボートはまだ相当数残されている。その気になればまだまだ補充することは可能なのだ。

 Uボートは、バルト海の沿岸に存在する造船所にて建造されている。

 つまり、地中海において連合国の艦船に損害を与えているものも、そこから回航してきたものなのだ。

 当たり前ながら、わざわざアフリカの沖を回り、イギリスが支配するスエズ運河を抜けて地中海にくるものはいない。

 それ以前に運河を潜水艦が発見されずに抜けることはできない。

 平均水深は二十二メートルである。しかも通過するには、潜水艦の水中速度で十時間以上かかるのだ。艦長が正気であれば挑戦すらしないだろう。

 そうなると地中海で暴れるためには必ずジブラルタル海峡を抜けることになる。

 スペインが中立国とはいえ、やはり海峡の通過は困難が伴う。何よりもジブラルタルの街そのものは、イギリス領なのだ。

 連合国にすれば大西洋側であれ、地中海側であれ、この海域での捕捉撃沈が潜水艦退治という点で、最も効率的ということになる。

 ただ、これまでは船団護衛で手一杯ということもあって、単に遊弋哨戒をさせるだけ艦船の余裕がなかったのだ。

「英国海軍の連中、ジブラルタルに行っているらしい」

 佐野がどこから聞いたのか士官室で騒いでいる。

「待ち伏せか、気楽な仕事だな」

「Uボート回航の情報があったらしい」

「奴ら楽な任務は自分たち、と思っているからな」

 佐野がぼやく通り、帝国海軍の稼働率は他国に比べてぐんと高い。欧米の艦船は言い方は悪いが怠けている。そう思っている士官は多い。

「でもどうなんでしょう、一度沈められたら、情報漏れているって思うんじゃないですか」

「どうだろう、潜水艦なんてどこにいるか、敵さんの司令部も知らんだろう。ましてや、どこで沈んだかも」

「定時連絡がなかったら沈んだってことか」

「それも切ないな、俺はドンガメはいやだな」

「砲術長みたいな賑やかな奴は、向こうからお断りだとさ」

 機関長のいれた茶々に笑いが起こった。

 しかし、話はそんなに簡単でも、気楽でもなかった。

(Uボート艦内)

「艦長、僚艦のスクリュー音です」

 スペイン、タリファの東方二十マイルの地点だ。

「きたか、敵駆逐艦の位置は」

「ひとひとご、距離約四千です」

 潜望鏡をのぞいている航海長が答える。

 しかし、やつらはバカかとギュンターは皮肉な笑いを浮かべた。毎度よく罠にかかってくれる。

「駆逐艦動きました」

「航海長かわってくれ」

「深度八十、前進強速」

 沈みゆく二隻の駆逐艦を確認し、ギュンターは下命した。

 この機を利用してジブラルタルを抜けるつもりだった。

 一旦キールへ帰港命令が出ていた。地中海ではメンテナンスができないのだ。

 もう一度ここに戻ってくるかどうかはわからない。最後にあの日本艦と決着をつけておきたかったが仕方がなかった。

 そろそろ乗組員も艦もガタが出るころだ。まあ無事にキールまで帰れるかどうかは、神のみぞ知るというところだ。

(駆逐艦棕櫚)

「艦長、ジブラルタルに派遣された駆逐艦が沈められたらしいです」

 やはり罠だったかと氏家は思った。

「我々ならどうだったですか」

「さあ、勝負は水物と言います。勝てたかもしれませんが、沈められたかもしれません」

「ご謙遜、Uボートキラーの氏家少佐らしくない」

 朝読新聞の記者だ。遥々海を渡り、地中海に派遣された艦隊の取材に来ている。

 この派遣は内閣が先行して決めたようなところがある。太平洋におけるドイツの植民地を手に入れることを目的に内閣は参戦を決めた。

 しかし地中海派遣は海軍内でも反対が多かったと聞く。そこら辺りは、海軍省勤務であっても、たかだか一課員である氏家などには分からない。

 しかし、その活躍が連合国内でほめたたえられ始めると、海軍首脳もこれを大きく喧伝することにしたらしい。そのために金を出して、軍報道部の嘱託という形で彼を派遣してきた。

「しかし残念ですね、今回の作戦では敵潜は現れなかったようで、いや、残念です」

 佐野が顔色を変えた、それを氏家は目で制した。

「記者さん、あなたは軍務は」

「乙種合格で、幸いなことに召集されないままで」

 艦橋にいる全員の視線が記者に集まった。

 彼も自分の失言に気が付いたらしい。基本的に海軍には志願兵が多いが、徴兵されて艦に乗っているものもいる。幸いにもとは、何という言い草だと全員が思ったのだ。

「失礼しましたつい口が」

 彼はそそくさと艦橋を後にした。司令部は記者に対し艦内勝手、つまり自由行動を認めている。

 記者の筆一つで派遣艦隊の努力も成果も吹っ飛ぶ、それを恐れているらしい。

「くそったれが、海に叩き込んでやろうか」

 佐野らしい意見だ、が士官としてはいささか不謹慎だ、それでも氏家はあえて注意をしなかった。

「艦長、七時方向魚雷です、輸送船に向かいます」

「喚起信号」

 輸送船が大きく舵を切る。発見が早かったこともあって、かかろうじてかわすことができたようだ。

「戦闘配置、爆雷戦用意」

「艦長、感ありました、右舷後方です」

「面舵」

「魚雷、三時方向」

「舵中央、最大戦速」

 艦が大きく傾く。

「魚雷後方通過」

 あのまま舵を切っていれば、どてっぱらにあてられていたはずだ。

「敵潜感ありません」

「輸送船団指揮より入電、アレキサンドリアまでの直掩願う」

「指揮あて打電、了解」

 Uボート狩りをやめて援護をしてくれということか、直掩のイタリア艦の面目丸つぶれだな。

「達する、本艦これより輸送船団の直掩に当たる。各員見張りを厳重にすること」

「イタリア艦に打電、我、最後尾にて、護衛につく。我に策あり」

 取りあえず今の敵潜だ、間違いなく後ろに来るはずである、こいつを仕留めておかない限り安心して航海ができない。

「記者さん、これからが本番です。申し訳ないが我々にはあなたを守る余裕はない、全力を尽くすが、勝負は水物です。武運拙く被雷した場合でも、乗組員は退艦命令以前に逃げれば逃亡罪で銃殺刑です。ただあなたは民間人なので、自分の判断でいつ逃げてもらっても構いません」

 記者の顔が青ざめた、先ほどまで、敵潜が現れないのが残念と言っていたのが滑稽に思える。俺も意外と意地が悪いと氏家は思った。

 横を見ると佐野のみならず、艦橋にいる全員の目が笑っていた。

「棕櫚」は速力を徐々に落としている。戦闘海域で足を止めるということは、危険極まりない行為だ。船の舵は速力がなければ利かない、つまり雷撃を受けた場合に逃げようがないのだ。

「氏家少佐、艦が停まっています、何かあったんですか」

 記者が、真っ青な顔で詰め寄った。

「静かに、分かっています」

「でも、このままでは」

「黙れというのがわからんか」

 佐野大尉が怒鳴りつけた。

 お前の方がよっぽどうるさい、氏家は苦笑したが、驚いたのか記者は静かになった。もっとも顔は青ざめたままだ。

「魚雷発射管開きました」

 椛島兵曹の声が響く。動いた。

 こちらを機関故障により置いて行かれた船と判断したのだろう、望むとおりだ。

「前進、最大戦速まで増速」

「四時方向魚雷」

「爆雷戦用意」

「十五ノットまで速力読み上げ」

「十、十一、十二、十三、十四、今十五」

「取舵一杯」

 艦が大きく傾く。

「右舷、魚雷通過」

「魚雷発射点から推測、敵潜位置ひと、ひと、さん、距離三千五百」

「敵潜出力を上げ潜航中」

「魚雷です」

「面舵さんまる度」

 さっきまで震えていた記者が、カメラを取り出している。怯えはどこへ行ったのか、後部甲板に向かってかけていく。

「爆雷投下用意」

「てーっ」

 海中からの振動が艦を揺さぶる。遅れて、ひとつ、ふたつ、と水柱が上がっていく。

「右舷後方オイルと浮遊物です」

「浮遊部、甲板部材と思われる木材」

「感ありません」

「戦闘配置のまま待機」

 じわじわとオイルの輪が広がってく、さらにいくつかの浮遊物も。

 一時間がたった。潜水艦の気配は完全に消えている

「戦闘配置もとい」

「本艦護衛任務に復帰する、順次交代にて休息をとれ」

 氏家が艦長室に戻り一服していると、扉がノックされた。

「先ほどは失礼しました、偉そうなことを言っておきながら、不細工なところをお見せして、恥ずかしい限りです」

 しきりに恐縮する記者を、ソファーに導いた。

 艦長室には、狭いなりにも一応応接用の設備がある。

「いや、カメラを構えればプロフェッショナルですね」

 氏家の正直な感想だった。

「ありがとうございます。国民に訴えることのできる写真が撮れました」

「いや水上艦と異なり、潜水艦はどうしても轟沈とはいきません。そこは記事の方でよろしくお願いします」

「承知しました、あとは、艦長ご自身のお話などお聞かせ願えれば」

「私のですか、とりわけ何も」

「いかにして海軍士官となられたかなど、あとに続くもののためにお話をぜひ」

 あまり気乗りしない話だ。

 氏家は、北海道の伊達村に生まれた。父親は道庁の管理をしていたこともあって、子供のころから学業の成績もよく、中学から二高に進んだ。東北帝国大学に進み学者になるのが周囲の希望でもあった。

 ところが、二高では氏家は頑張っても中ぐらいの成績であり、およそ学者になどなれそうにもなかった。

 氏家は独断で高校を退学し、海軍兵学校に進んだ。親に無断だったこともあり、しばらくの間は父親から勘当を言い渡されていたほどである。

 勘当が解けたのは兵学校を卒業し、少尉候補生として遠洋航海から戻ってきてからだった。

 こんな話を聞かされたところで、あとに続くものの役に立つと思いますか、氏家は記者に尋ねた。

「そんな方でも、各国からの称賛を受けられるようになった、それが希望でなくて何ですか」

 そんな方か、思わず氏家は苦笑した。

「すいません、失礼しました、いやあ、思いついたことをつい口にしてしまうたちで、本当に申し訳ありません。今までもいろいろ失敗しました。ご容赦のほどを」

 人は悪くないらしい、恐縮する新聞記者の姿に、氏家は笑いをこらえきらなかった。

「艦長は海軍兵学校は」

「三十四期です、ハンモックナンバーは極秘ということで」

「ということは、先の戦役では?」

「戦が終わってからの卒業です」

「ならば遠洋航海も経験されたということですか」

「三景艦、ご存じですか」

「ええ、松島、宮島、橋立ですよね、日清、日露で活躍した」

「はい、巡洋艦です。遠洋航海は松島に乗りました」

「え、松島ですか」

「ああ、やはりご存じですか、さすが記者さんだ」

 記者の反応で氏家は、彼が松島の運命について知っていることを悟った。

「私が乗った翌年でした」

「じゃあ、お知り合いの方が」

「はい同じ部屋のものも何人か」

 巡洋艦松島型は、清国の定遠型に対抗するため建造された船だ。

 しかし船体と主砲のアンバラスなどから、運用は難しかったとされる。

 そのためか、日露戦争終了後、三艦そろって練習艦隊に編入された。

 その艦を遠洋航海で利用した最初の期が、氏家たち三十四期だ。東南アジアおよびオーストラリア方面への航海だった。今思い出しても訓練は楽ではなかったが、赤道祭や寄港地での観光など楽しかった記憶もある。海軍士官としての第一歩だった。

 その松島は、翌年の遠洋航海中に馬公で爆発事故を起こし、多くの少尉候補生が殉職した。

 先ほどの記者の反応はその事実を下敷きにしている。

「兵学校でお世話になった上級生から下級生まで、すでに幾人もの人間がこの世にいません。軍人である以上それは仕方がないことですし、我々は常にその覚悟で戦っています」

「わかりました、そのことも記事にできればと思います。最後にもう一つよろしいですか」

 氏家は無言で頷いた。

「ここでの戦いは、帝国にとって直接的な利害関係はありませんよね、そのことについてはどうお考えですか」

 もちろん個人としては氏家にも思うところはあった。

「軍人は命令に従うだけです。意見などはありません」

 記者が聞きたいのは、そんな表向きの答えではないことはわかっている。しかし氏家はそれ以上のことを言うつもりはなかった。

 氏家の表情に記者はあきらめたようだった、謝意を述べ立ち上がろうとしたときに、艦内放送がかかった。

「イタリア艦から信号、潜望鏡発見」

 氏家は瞬時に反応した。壁の受話器を取ると下令した。

「戦闘配置」

「イタリア艦から敵潜位置についての通告は」

 艦橋に戻ると同時に氏家は航海長に尋ねた。

「輸送船団の後方とだけ」

「聴音員、感は」

「ありません」

 即答だった、イタリア艦からの信号がくる以前から耳をすましていたに違いない。

 Uボート側に立ってものを考えたとき、潜望鏡深度でニュートラルでいることはそれほど簡単なことではない。例によって待ち伏せか。

 艦橋に緊張感が漂う、不発であったとはいえ、魚雷を命中させられた経験があるのだ。重苦しい時間が過ぎる。

 氏家は時計を見た。通告があってからかれこれ十五分以上が過ぎた。船団は回避運動をとりながらも、十二ノットほどの速度で進んでいる。つまり距離にして、五千メートル、すでに魚雷の有効距離からは外れていた。

「砲術長、航海長どう思う」

「イタリア艦の誤認かと」

 航海長の意見に佐野も同意した。もちろん氏家自身もそう思っている。

「戦闘配置もとい」

 艦内に漂っていた緊張感が一気に解けた。

「くそ、いったいどんな目をしているんだやつらは」

 佐野が憎々しげにつぶやく。

「ぼやくな砲術長、何事もなかったことを喜ぶべきだろう」

「それはそうですが、こんなことが増えるから、うちの出番が」

 輸送船団からは、帝国海軍の護衛なしには出港しないという声が一層強まっている。

 ありがたい話とも思うが乗組員の精神的負担は一層増える。

 氏家は連合国の早い勝利を願っている。欧州に帝国陸軍が派遣できれば、ちらっと脳裏をかすめたことではあるが、氏家はすぐさま打ち消した。今の日本にそこまでの国力はないことぐらい承知していた。

 英仏に、そして新規参戦した米国に頑張ってもらう。そのためには、今従事している護衛任務が何より大事なのだ。あとひと踏ん張り、だった。

 

第六章     

ブルガリアが連合国と停戦、トルコが降伏、戦争も終わりが見えかけてきている。

 ギュンターの戦友たちも多くは既にこの世にいない。

「今更地中海か、貧乏くじだな」

 そんな言葉を投げつける同僚もいる。

「借りを返さなきゃならんからな」

 既に、輸送船をいくら撃沈しようが、戦局に影響はないかもしれなかった。西部戦線も敵軍が優勢になっていると聞いている。

 それでもギュンターには地中海に戻る理由があった、ウジイエを沈める。

 ギュンターが沈めておけば、多くの戦友が命を失うことはなかった。彼らの魂のためにもやつを沈めなければならない。

「艦長、タリファ、西方十マイル地点です」

「潜航用意」

 夜間に乗じてここまでは浮上して航行していた、おかげで蓄電池は満充電されている。

 ジブラルタルにある英国海軍のトラファルガー基地には、艦船が増やされていると聞く。

 船団護衛任務が減り余裕の出た勢力を海峡封鎖に転用しているのだ。

 半年前にキールに帰るついでに、駆逐艦を沈めたことも兵力増強に影響しているのかもしれない。

 地中海にUボートを入れなければ船団護衛の必要が格段に減るのだ。

「艦長から達する、本艦はこれよりジブラルタルを抜け地中海に入る、今回の作戦行動において目標はただ一つ、日本海軍だ。諸君がこの作戦に志願してくれたことに感謝する」

 ギュンターは潮流に乗り地中海に侵入するつもりである。海峡には平均して二ノット余りの西流がある。後ろからの流れは、船にとって実はあまりありがたいものではない。

 水上艦においても後ろからの強い流れは、転覆事故を起こさせる要因である。ましてや不安定な潜水艦においては、操艦は楽ではない。

 それでもスクリューを回すことで、哨戒中の駆逐艦に発見されるリスクよりはましである。

「艦長、哨戒艦です」

 艦内に緊張が走る。海峡をぬけるまではあと二時間余り。

 手空きの乗組員はベッドや食堂で楽な姿勢をとっている。こちらがいらぬ音を出さない限りは、発見されることはない。

「哨戒艦遠ざかっています」

 気付かれることはなかったようだ。

 神のご加護か、死神の誘惑か。

「海峡抜けます」

「前進微速、潜望鏡深度」

「潜望鏡上げ」

 意外と近くに敵はいた、機関を減速したのはこちらをおびき出すためか、ギュンターは一瞬心臓の鼓動が早くなったのを感じた。が、そうではなかったようだ、どうも漫然と哨戒をしているようだ。

「一番、二番発射用意」

 船尾の旗はホワイトエンサイン、英国艦だ。同じH型でもウジイエではない。

 

「針路ひと、ひと、はち」

 距離は約二千。基地に帰投するつもりらしい、あいさつ代わりに沈めておこう、ギュンダーは決めた。

 しばらく暴れれば、やつが現れるかもしれない。

「敵、機関音増大」

「気が付いたか、だがもう遅い」

 距離は一千を切っている。

「一番発射、舵中央のところ、面舵五度」

 十、九、八、七、六、五、四、三、二、ギュンターは時計をにらむ。

「二番発射」

「急速潜航、深度八十」

 水中を衝撃音が伝わってきた、あとは確認の必要はない。

 奴はどこにいるのか。

 五日後、ギュンターはマルタ島の沖にいた。奴は、ここにいる。

 ジブラルタルで英艦が沈められたと聞き、氏家は直感的にギュンターの仕業だと思った。

 戦争は私闘ではない、個人の感情で兵を動かすことは、軍人として決して許されるものではない。しかしそんな建前は別として、氏家はギュンターとの決着をつけなければならないと思っている。

「英艦は単独で哨戒任務を行っていたのでしょうか」

「基地も近かったから、気が緩んでいたのかもしれませんね」

「私の思い過ごしかもしれんが、奴は本艦を狙っているような気がしてならない。諸君が奴ならどうする」

 士官室での会話だ。

「たぶん待ち伏せ、それもこの港の近くで」

 珍しく機関長が最初に発言した。兵科士官がいる場で機関科士官が戦闘に関する発言をすることはほぼない。なぜなら海軍の規定では指揮権は兵科士官がにぎっている。戦闘時、兵科士官が生き残っている場合は、その階級が少尉であっても機関少将ですら指揮権はない。

「だろうな、私もそう思う」

「となると、港を出るときから見張りを厳重にせねばなりませんね」

「トップ(檣楼見張り所)の要員を増やしますか」

「とりあえず、目と耳で対応ですか」

「こちらから、何か信号を出して探すようなものはできないのかな」

「実験では成功しているようですが」

 さすがに通信士は、その所掌上詳しいらしい。

「早くできてくれるといいんだがな、この戦争には間に合わないんだろう」

 一同はため息をついた。結局現状では潜望鏡を見つけるか、敵潜がうかつに音を出してくれるかしかないのだ。

「そろそろ護衛任務も終わりだ、最後まで気を緩めることなく、生きて故国に帰ろう。航海長、船団との会合予定は」

「ほんひ、ひとまるまるまる、です」

「では出港用意三十分前を」

「防波堤通過」

「出港用意もとい」

「艦長より達する、先日、本艦の同型艦である英国艦がUボートにより撃沈されている。このところ敵に遭遇することが減ってはいるが、各員は改めて見張りに全力を尽くすこと。以上」

「輸送船団指揮から入電、現在のところ異常なし、定時にて会合予定」

 さて、そろそろということか。まずは輸送船の護衛が第一である。

 海上模様は穏やかだ、潜望鏡を発見しやすい。こちらにとって取りあえず有利と言えるだろう。

「艦長、敵潜、感あり。方位、ひと、さん、ご。待ってください、感消えました」

 艦橋内に緊張が走った。

「今の音は、聞き覚えがあります、本艦に魚雷を命中させた奴に間違いありません」

 椛島兵曹の耳は派遣艦隊一だ、おそらく間違いはないだろうと思う。ギュンターの件は下士官兵には知らせていないのだ。

「各員は潜望鏡発見に全力を尽くせ」

「航海長、之の字運動開始」

「各砲、爆雷発射用意」

「輸送船団指揮及び護衛各艦長に打電、我、敵発見、対潜戦闘に入る」

「十一時方向、潜望鏡航跡発見、距離六百、本艦に向かっています」

 トップの見張り員だ、近い。敵さんもへまをしたということか。

「取舵、舵中央のところ、三十度、最大戦速」

 この距離では爆雷は利かない。砲撃よりもぶつける方が効果的だろう。

「潜望鏡見えなくなりました」

「敵潜潜航中、本艦の真下を通過します」

『ゴーン』という鈍い音が響いた、船底にわずかな衝撃がある。

「何が当たった」

「艦橋構造物もしくは潜望鏡かと」

「ペラ、舵、聴音器の損傷確認」

 即座に異常なしの報告が上がってきた。潜望鏡であれば、こちらにとっては格段に有利になる。

「面舵一杯、六十度回頭点で面舵一杯」

 艦が大きく傾く。

「原針路二十度手前で舵中央」

「原針路の反方位に乗りました」

 これで衝突点近傍に、艦は戻っているはずだ。

「水雷長爆雷攻撃」

「爆雷投下用意、ごー、よん、さん、ふた、てーっ」

(Uボート艦内)

「艦長、輸送船団です」

 来たか、ギュンターは自分の予想が当たったことに満足した。

 以前も使った手だが、船団の内部に入り込んでしまうと意外と発見されないものだ。

 護衛艦の聴音員には船団を構成する船から出る音と、Uボートのスクリュー音の判別が難しいのだ。

 さらに、輸送船には聴音器は装備されていない。

 奴が来れば、撃沈する。来なければ来ないで、手当たり次第暴れるだけだ。

「護衛艦速力を落としています」

 会合地点か、ギュンターは船団から離れることにした。船団のど真ん中で潜望鏡を上げるわけにはいかない。

「機関停止、船団から離れ次第、半速前進、潜望鏡深度」

「潜望鏡深度です」

「潜望鏡上げ」

 来た、旭日旗を掲げたH型駆逐艦、ウジイエだ。最初から会えるとは、ギュンターは自らの強運を信じた。

「一番から四番発射用意」

 ウジイエが回避行動をとり始めた、気づいたのか、いい耳をしている。

「機関停止」

 既にウジイエが気付いている以上、うかつに動くのは危険だ。

「潜望鏡降下」

「艦長、聴音器が使えません」

「音の判別が」

 海流か何かの影響か、しかし今かという無念さが沸き上がった。

「潜望鏡上げ」

 接眼部を覗き込んだギュンターは、思わず舌打ちをした。距離六百、目の前に奴はいた。

「潜望鏡降下」

「急速潜航」

 聴音器の必要がなかった、頭上で駆逐艦の機関音が響く。

 潜れ、間に合ってくれ、ギュンターは神に祈った。

 ガツンと言う音とともに衝撃があった。船体が揺れる。あちらこちらで短い悲鳴が起こった。

「最大戦速」

「面舵一杯」

 奴はすぐに戻ってくるはずだ。

「総員、耐ショック姿勢をとれ、爆雷くるぞ」

「機関停止」

 左舷で機雷の爆発音、そして衝撃があった、船内灯が消える。

「非常灯点灯、被害箇所報告」

「左舷内壁浸水」

「応急措置にかかれ」

 機関長の矢継ぎばやの指令が飛ぶ。

「浸水止まりました」

 また忍耐の時間だ、とりあえず、潜望鏡の確認ぐらいはしたいが、今動くのは自殺行為だ。

 奴はどう動く、船団の直掩につけば離れるはずだ。

 そうでなければ……、とにかく今は待つしかなかった。

「何か向こうから信号を打ち出してこちらの動きを探る、そんな装置の話聞いたことがあるんだが」

「フランス海軍が試験には成功したらしいです」

「そいつは困ったな、こうしていても見つかるということか」

 取りあえず今、ウジイエがそれを持っていないことが救いだと思ったのは、ギュンターだけではあるまい。

「しかし、それがあれば、この状態でも攻撃できるということですよね」

 それはそうだなと思う、常に技術は諸刃の剣か。

「敵艦の状況は」

「感度ありません」

「潜望鏡深度」

「潜望鏡上げ」

「上がりません」

 衝突で何らかの損傷があってということか。洋上修理ができなければ面倒なことになる。

「敵艦の感あるか」

「ありません」

 ギュンターは決断した。

「メインタンクブロー」

 危険度を考えれば夜間がいいのだが、その場合修理が困難になる。

 幸いなことに敵艦は見当たらなかった、ウジイエは船団護衛を優先させたということだろう。自分とは目的が違うということらしい。まあ、軍人としてはあたりまえかもしれない。

「潜望鏡の修理は」

「何とかなりそうです。プリズムが破損していますが、予備がありますので」

 艦橋の一部がへこんでいるが、こちらは大局に影響はないはずだ、所詮飾りのようなものだ。

「潜望鏡上げ、止め」

「潜望鏡下げ」

「艦長、爆音です、航空機が飛来します」

「急速潜航」

 潜ったところで、海面の透明度から言って上空からは丸見えだ。しかしそうはいっても漫然と浮いている馬鹿はいない。

 潜れば魚雷は効かない、爆弾など当たるわけがなかった、当たれば運が悪い、それだけのことだった。

 この航海に、ウジイエが参加していることは確認できた。ならばあとはどこで襲撃するかだ。

 マルセイユか、マルタか、どちらにしても奴は基地に帰投着岸するまで気を抜かないだろう。

 ギュンターは、マルセイユに針路をとった。

 昨日は航空機による哨戒があったが、今日は今のところその気配はない。満充電まであと三時間余り、つぎの潜航が最後になるかもしれない。

「マルセイルまであと三十マイル」

 天測結果を海図に落としていた、航海長が報告をあげる。水上航行で四時間弱、もう目と鼻の先だ。

「日の出をもって潜航する、各員それまで交代での喫煙を許可する」

 単独行動中だ、航海灯も舷灯も消灯している。艦首が立てる波が白く月光に映える。

 ギュンターは夜航海が好きだった、この戦争が終われば退役し商船にでも乗るかと思う。もちろん、生き残ってからの話だ。

 結婚するはずだった相手はすでに亡くなっている。一生を海の上で送るつもりでいた。

「潜航用意」

 甲板にいた乗員のため息が聞こえそうだ、水平線がピンク色に輝き始めている日の出が近い。

「潜航」

「現在地点マルセイユの南南東十一マイル」

「敵船団接近」

「船団背後から攻撃を仕掛ける、その後船団内部に隠れ、ウジイエを撃沈する」

 ギュンターは士官を見回した。

「意見はあるか」

 誰も声を発しない。

「よし、各員配置につけ、わかれ」

「潜望鏡上げ」

 どれでもいい、艦首方向にいる船を沈める、選ばれたものは己の不幸を呪え。ギュンターは心の中でつぶやいた。

「前後部発射管、発射用意」

「一番、発射」

「潜望鏡下げ、深度三十、面舵二十度、全速前進」

 爆発音がした、狙い通り命中したのだろう。

「推定船団直下」

「舵中央、前進半速」

「敵護衛艦急速接近」

「減速しています、救助に向かうようです」

 ウジイエ、その甘さが命取りだ、人を助けるより、自分を守れ。

「潜望鏡深度、達し次第潜望鏡上げ」

 潜望鏡をのぞいたギュンタは―小躍りしたくなった。僥倖だ、正面に奴がいた

 救助網を下ろして被雷した船の人員を救助しようとしていた。

「取舵十五度、二番発射用意」

「二番発射」

 この距離では躱しようがないはずだ、まして救助に当たっているとなれば。

「さらばだウジイエ」

「敵、増速しました」

「船団散開しています」

 逃げろ逃げろ、もう遅い。

 だが、命中音がなかった、また不発か。否、不発でも命中音はあるはずだ。

「敵、まっすぐ本艦に向かってきています」

 馬鹿な、なぜ外れた。

「前進全速、急速潜航」

「総員耐ショック姿勢」

 連続して破裂音が頭上で起こる。

 艦が上下左右に揺さぶられた。

「全速前進」

 とにかく、この場を逃げなければならなかった。

「機関停止」

「敵、向かってきます」

「真上です」

「取舵一杯、最大戦速」

 バッテリーが持たなかろうが構わなかった、どのみち沈められれば終わりだ。

 背後で機雷が破裂した、ぎりぎりで躱している。

「機関停止、オイル流せ」

 騙されてくれるか、流れに乗って離脱する、戦前の海図が正しければ、ここには若干の潮流があるはずだった。

「敵艦追尾してきます」

 なぜだ、何をもとに追ってくる。

 ギュンダーは頭をフル回転させた。わからない、ウジイエは魔法が使えるのか、ばかな。新兵器?フランス海軍の?

 背後で爆雷が爆発した。

 艦がひっくり返りそうになる。

「トリム取れ」

 言わずもがなの命令を発したことをギュンターは恥じた、指揮官が取り乱してどうする。

「後部機関室浸水」

「応急班防水作業」

 右舷で爆雷が爆発する。

「右舷内壁浸水」

「止まりません」

 ギュンターは決断した。

「メインタンクブロー、急速浮上」

 もう今しかなかった。これより遅れれば奈落に沈み込むのは確定だ。

「浮上次第砲撃戦用意、一番二番発射管用意」

「相手は駆逐艦だ、勝ち目がないわけではない」

(さかのぼって駆逐艦棕櫚)

輸送船団の護衛は片道だけではない。

 当然ながらギュンターもわかっているはずだ、であれば必ず港の外に奴は居るにちがいがなかった。

「艦底に重大な被害はありませんでした」

 ボースン自らが潜ったらしい、であれば確実だろう。基本、士官が確認しなければならないが、戦場では建前よりは実力だ。

 ともに潜った若い士官よりは信頼がおける。おそらく報告を上げた本人がそのことを一番わかっている。

 そうして君も育っていけ、士官は責任だけをとればいい。

「ならば向こうもそれほどの損害ではないということですかね」

 だろうな、潜望鏡でも折れてくれていればいいんだが」

「七時方向、魚雷です」

「注意喚起」

「無理です、近すぎます」

「命中します」

 船団の中央部にいた輸送船の右舷に火柱が上がった。

「聴音員」

「雑音が多くて判明しません」

 打てば響くように椛島兵曹が即答した。

 動けばやられる可能性はある、しかし、目の前の遭難者をほっておくわけにはいかなかった。

「本艦は救助に向かう、左舷、救助網おろせ」

 要するに網になった縄梯子である、遭難者がそれをつかみ上ることができるものだ。

 艦橋に緊張が走った、この状態で船足を落とせば、雷撃に会う可能性は高い。

「船首方向、魚雷です」

 来たか、逃げようがない、これまでだな。

「総員衝撃態勢をとれ」

「魚雷が、はずれます」

 氏家は耳を疑った。魚雷は船首右舷三十メートルほどを、白い航跡を引いて通過していった。明らかに目標点を誤っている。

「遭難者収容終わりました」

 乾舷の低い駆逐艦ならではだ、戦艦になればこんなに早い収容は無理だろう。

 敵潜はまず船首方向にいる、それだけは間違いない、

「前進全速、舵中央」

「爆雷戦用意」

「敵潜感あり、艦首方向、全速で逃げています。距離一千」

「推定敵潜上通過」

「投下用意ごー、よん、さん、に、てーっ」

 水柱が上がる、見慣れた風景だ。ただ水面下では地獄が拡がっているに違いない。

「敵潜、感あり、まだ生きています」

 生きている、か、椛島の言葉が、これが殺し合いであることを改めて認識させた。

「面舵一杯」

「艦首方向敵潜、距離三百」

「投下用意、てーっ」

 水雷長の怒声が再び響いた。

「オイルが見えます」

 水柱が収まった海面に虹色の輪が広がっている。

「仕留めたか」

「感あり、潮流に乗っています、機関を停止しています」

「椛島兵曹、機関停止でなぜわかる」

 氏家は職名ではなく姓名で問いかけてしまっている。

「今日は当初から機関音以外に敵潜は雑音を出しています。水きり音のような」

 雑音、水切り音、衝突で何かの障害があったか、雷撃の失敗もそれが原因か。

「水雷長」

「投下用意、五秒ごとに投下。ご。よん、さん、に、てっ、ご、よん、さん、に、てっ」

 水柱が等間隔で立ち上がる、どこかで引っかかるはずだった。

「敵潜ブローしています、浮上してきます」

「爆雷戦もとい」

「各砲、発射用意」

「両舷魚雷発射管用意」

 こい、上がってこい、白旗をあげる時間だけは待ってやる。

 海面が割れた、艦橋がわずかにゆがんでいる、それが雑音の原因か。ギュンターなぜ直さなかった、時間はあったはずだ。

 各砲が回転し敵潜を指向した。

「艦長、魚雷発射管が開きました」

 敵潜の後部から白煙が上がる、ディーゼルを回したのだ、敵潜の艦首が回りこちらに向いた。

「魚雷です」

「全速前進」

「輸送船団に警笛」

 潜水艦が浮上すれば、水上艦にかなうはずはない、わかっていても、最後まで戦うというのか。

 何が彼を駆り立てているのか。

「棕櫚」の後ろにはまだ、輸送船団がいる。自分が回避した魚雷はどこに行くのか。

「主砲発射用意、照準各個、てーっ」

 斉射によって「棕櫚」の船体が揺れる。

 敵潜はまだ戦う意思を示している、決着は撃沈しかありえないか。

 たかだか十ノットほどの速力でも動き回ると命中は難しい。

「魚雷きます」

 四本の雷跡が扇状に広がる。

「取舵一杯」

 距離が近い、氏家は魚雷の側に舵を切った。広がりが少ない分、躱せる可能性がある。反対側に斬れば回避するには余計に航走しなければならない。

「魚雷躱しました」

 見張りが叫ぶと同時に、船体が揺れた。

「艦首錨庫付近に着弾」

 ほぼ同時に、敵潜前部の搭載砲周辺に主砲弾が命中した。砲手が吹っ飛ぶ。

 Uボートの砲はむき出しだ、砲塔どころか、防弾版すらない。

 商船を攻撃するならまだしも、軍艦相手に戦闘を行うにはリスクがありすぎる。

「敵潜沈黙、機関停止しました」

「艦橋に人の姿があります」

「撃ち方止め」

「白旗です」

「本艦は、これより敵潜に接舷する。敵潜乗組員に対しては武人として接すること」

 艦首で、水兵がレットを回し始めた。

 氏家は、ふと先日の反乱船のことを思い出した。あまりあっては欲しくないことだった。もっともこの艦に限っては、そんなことはないだろう。

「艦長をお連れしました」

 初めて見るギュンターは思ったより若い男だった、ひげ面は潜水艦乗りの宿命だろう、水上艦以上に水が貴重なのだ。どうせ剃れないなら伸ばす方が楽ということに違いない。

「U30艦長ギュンター・マルシェル大尉です」

 敬礼をしたのち、ギュンターは鮮やかな英語で言った。

「棕櫚艦長、氏家林太郎少佐です」

 敬礼を返した氏家は右手を差し出した。その手をギュンターが握った。

「艦長、Uボートの砲手,二名収容しました。奇跡的に息はあります」

「わかった、できる限りの手当てを」

 ギュンターは日本語はわからないはずだが、何となく話を理解できたのだろう、笑顔になった。

 氏家が英語で通訳すると、日本風に頭を下げた。

「氏家少佐、部下へのご配慮感謝いたします、やはり聞いていたとおりの方でした」

「私の話をどこかで」

 ギュンターの表情が暗くなった。

「メアリー・シンプソン、ご存じですか」

「イギリス海軍婦人部隊の中尉、ですか」

 ドイツの間諜という正体がばれ、逮捕直前に拳銃で自決した女性だ。

「私の許嫁でした」

 艦橋にいた英語がわかるものは目を閉じた。

「彼女が危険な任務を選んだのは多分私のせいです。私が、海軍を選ばなければ」

「お悔やみ申し上げます」

 氏家はメアリーの笑顔を思い出した。

「マルタにお連れすることになります、到着まではご自由に動いてくださって構いません、部下の方々にもそうお伝えください」

「艦長、司令部から入電です」

 通信士の顔が紅潮している。

 あちらこちらの艦船から汽笛が鳴った。

 電文を読んだ氏家は、艦内マイクをとった。

「達する、戦争は終わった、帰れるぞ」

「大尉、残念ながら貴国の負けだ、ただ戦争は終わった。たった今から君たちは捕虜ではなくゲストだ、ようこそ本艦へ」

「汽笛を鳴らせ」

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